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「お前の音は、だらしない」 妹尾さんのことば#19

 2018-06-07
京都で1997年9月から始まった、妹尾ジムは、
翌98年12月で終了となりました。

バンプなどの基礎訓練、簡単なフレーズの練習の後、
Little Walterのインスト「Juke」を、
妹尾さんが練習曲用の6コーラスにアレンジした、
「妹尾版Juke」に取り組んで、一区切りです。

妹尾版Juke1コーラス目の妹尾さん直筆タブ譜

IMG_2768.jpg


「オレは基礎しか教えない。
 Jukeを終えたら、みんな、いったん放り出す。
 それがオレの方針や」

と妹尾さん。ただ、ジムの終了にあたって、

「一人一人の、いまの到達点を残しておく」

ということで、カラオケのバンド演奏で、
生徒一人一人がJukeの演奏をして、
それを録音することになりました。
エンジニア役は妹尾さんがしてくれはりました。
(しかも、授業料なしで)

私は、そのときに録音した音源(カセットテープ)を、
世界ハーモニカ連盟日本支部(FIH JAPAN)の
第19回コンテストに応募したところ、
テープ審査の予選を通過して、
東京・吉祥寺はスターパインズカフェでの本選に、
出ることになったのでした。

応募したことや本選に出ることは、
妹尾さんには話しておらず、
当日、会場にいた妹尾さんは、

「お、小西が出てるんか」

となったそうです。

それが99年5月のこと。

6月になって京都三条木屋町のライブハウス「RAG」で、
妹尾さんのバースデーライブがあり、
ジムの卒業生である私たちも、聞きに行きました。
妹尾さんと一緒に生徒も演奏するというコーナーもあり、
私もステージに上げてもらいました。

で、ライブが終わってから、妹尾さんに、
コンテストでの私の演奏がどうだったのか、
聞いてました。

妹尾さんは即、

「お前の音は、だらしない」



・・・・・・・・・・・・・・私は、やっとのことで、

小西「『だらしない』て、どういうことでしょうか。
    そうやない音を出すには、何したらええんでしょうか」

妹尾「う~ん。それはな、口では言えん。極意やから」


落ち込むというか、途方に暮れるというか、
お先真っ暗というか・・・

その後、私はセッションに出たり、
遅まきながらバンドやデュオでのライブ活動も、
自分のペースでやってきましたが、

ずっと、この「だらしない音」をめぐって、
もがき続けてきたようなものです。


「素質がある」 妹尾さんのことば#18

 2018-06-06
妹尾さん関連の資料を整理していて、
当時の私の備忘録も出てきました。

#17で書きましたが、

「こんなん、メモとるようなことと、ちゃうで」

と指摘されて、現場でメモをとることはやめましたが、
翌日とかに記憶をたよりに、
ジムでのあれこれを書き留めていたものです。

私が妹尾さんから直接、はもにか演奏について、
「ああしろ」「こうしろ」とかいうコメントをもらったことは、
片手で足るくらいの数しかありません。

その最初のものが、このときの備忘録に残っていました。

ジムが終わって妹尾さんと生徒一同が、
木屋町にできたばかりのブルース・バー、
OUT LOOP-WAYで「新年会」を開いた時のこと。
(バーボンの話を書いた#13のときのこと)

妹尾さんは生徒たちを前に、
何曲か、ひとり吹きで演奏を聞かせてくれはりました。

終わって、生徒で何かやろうということになり、
私は、サニー・ボーイ風の曲を、
3コーラス吹いたのでした。

それを聞いて、妹尾さんが寸評。

「素質がある」

その根拠は、

「身体から吹いているから」

というもの。

ともかく10穴はもにかを初めて3年経っていて、
ライブはおろか、セッションもやったことがない私でしたが、
何かを求めてジムに通っていた、右も左も分からないころ。

妹尾さんから、そう言ってもらったうれしさの瞬間は、
いまでも忘れません。

ジムに通っていたときから、いまで20年が経過。
その間も、なんだかんだと、この楽器を続けてこれたのは、
このときの妹尾さんの寸評があったからこそだとも思います。

ただ、のちに、

「天国から地獄へ逆落とし」

みたいなコメントを妹尾さんからもらうことになるのですが、
それは次回の#19で書きたいと思います。

写真は、京都での「妹尾ジム」での一コマ(1998年)。
妹尾さんの後ろで、背後霊のように写り込んでいるのが私。

IMG_2762.jpg



「おい、こんなの、メモするようなことちゃうぞ」 妹尾さんのことば#17

 2018-06-06
この間、妹尾さん関連の資料を整理していたら、
京都でのトレーニングジム時代の私のメモ書きが出てきました。


ジムで配布された妹尾さん直筆のタブ譜。

IMG_2758.jpg


リトル・ウォルターの「オフ・ザ・ウォール」風の練習曲です。

この紙の裏に、妹尾さんがジムでしゃべりはったことを、
万年筆でメモしていたのでした。

memo.jpg


ホーナー社の品質が落ちている話、
ブルースのCD(日本盤)のライナーノートの歌詞が出鱈目な場合があるのはなぜか。
ゴスペルとブルース、演歌とブルース・・・などなど。

と、妹尾さんは話すのを止めて、私に、

「おい、こんなの(こんな話)、メモするようなことちゃうぞ」

怒るでもなし、たしなめるでもなし・・・

で、私はそのとき以来、教室でメモをとるのをやめました。

メモをすると、分かった気になってしまう、
大事なことは心でしっかり受け止めろ、
あれこれの知識ではなく、
要ははもにかを、ブルースをいかに吹くか、

・・・・そんなことを妹尾さんは言いたかったのかも知れないと、
いまになって思います。

私は、こんなメモをとって残していたことも忘れていました。

同じメモに、

「(はもにかは)簡単な楽器。穴10個。(演奏の音だけ)聞いて、
CottonかSonnyBoyかが分からんと一人前でない。
その人の音がある。10人全部顔が違うように」

「方言いろいろあっても、みんな人間として立派やん。上下ないやん」

IMG_2757.jpg


妹尾さんの言葉をもう聞けない今となって、
当時のメモを読み返して、いろいろ考えています。

「俺に授業料、前借りせえ!」 妹尾さんのことば#16

 2018-06-01
1998年に京都の個人宅を会場に続けられた、
「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」。

私は当時、大阪市東成区に住んでいまして、
仕事を終えて夕方、保育所に子どもを迎えに行き、
その日の洗濯をしながら夕飯をこしらえて子どもたちに食べさせ、
しかるのちにJR大阪環状線で京橋に出て、
京阪電車で京都まで「妹尾ジム」に通うこともありました。

(いまでは、そんな無茶なこと、ようしません)

で、会場に着いたら、もうレッスンは終わっている時刻、
ということもありました。

ある日のレッスンでのこと。

例によって家事育児の務めを果たして、ジムに着いたところ、
何やら重苦しい空気がただよっているではありませんか。

何やら妹尾さんが生徒を説教している様子。
妹尾さんの厳しい声だけが聞こえてきます。

どうやら、ある生徒が、教室を辞めたいと打ち明けたことが発端のよう。

生徒「妹尾さん、おれ、授業料、払えへんから、やめる」

授業料は当時、月ぎめ1万円(レッスンは月2回)でした。
申し出た彼は、いわゆるフリーターで生活が不安定だったのでしょうか。

すると、妹尾さんは、

「俺はな、カネのためだけに教室やってるんやないんや!」

と一喝。

「今、カネがないんやったらな、俺に授業料、前借りせえ!
 そうして、最後まで習いに来んかい!」

「辞める」と申し出た彼だけに、
発せられた言葉ではないんだろうと思いました。

私は、「この人についていこう」と思ったのでありました。

写真は、1998年当時の「ハープジム」の風景を記録した、
貴重な?映像・・・・私はいまの方が痩せていますね~
写真に写り込んでいる時計は午後10時55分をさそうとしています。

IMG_2727.jpg


「どんなヤツが出てくるか、分からんやろ」 妹尾さんのことば#15

 2018-05-31
今からざっと20年前、
京都の「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」で習っていたころ、
ジム(教室)の間も、終わってからバーや喫茶店で、
それこそ妹尾さんは朝まで、いろんな話をしてくれはりました。

あるとき、特に生徒が質問したわけではありませんでしたが、
妹尾さんが関西でライブをするとき、
セッションタイムを設けていることについて、
お客さんから苦情が出ていることに対して、
妹尾さんが持論を述べはったことを、いまでも覚えています。

例えば当時、神戸にあったT2楽屋というライブハウスで、
毎月第1月曜だったでしょうか、
妹尾さんの定期的なライブがありました。

後半はセッションタイム。入れ替わり立ち替わり、ステージに上がります。
達者なプレイヤーならともかく、

「きょう、はじめてセッションに出ます」

てな出演者もあるわけです。

で、お客さんからすれば、

「妹尾さんのステージを楽しみに(チャージを払って)、
 ライブに来ているのに、セッションだからと、
 鑑賞に堪えないような演奏をするのを聞かされるのは…」

ということに、ならないでもありません。

しかし、妹尾さんは、

「そんなことは分かってる。
 でも、俺はセッションをやるんや」

と。

妹尾さん曰く、

「それはな、どんなヤツ(才能)が出てくるか、
 誰にも分からんやろ。
 そやから俺はセッションをやるんや。
 誰にも文句は言わせん」

と。

さて、そんなご縁に恵まれて月日を過ごしながら、
私は、はもにか吹きとして、どこまでたどり着けるか。

写真は、京都でのジムから15年後。
2013年12月の大阪・塚本「ハウリンバー」での、
ライブ&セッションで妹尾さんとご一緒したときの私。

2013.jpg

「俺はな、教室の生徒に『俺のライブに来い』ということは言わへん。ただ・・・」 妹尾さんのことば#14

 2018-05-26
京都で「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」が開かれていた、
1998年のある日のレッスンで、妹尾さん曰く、

「俺はな、教室の生徒に『俺のライブに来い』ということは言わない」

と切り出しました。

他の国の事情は知りませんが、日本では、
はもにかやブルースに限らず、
いろんな習い事や芸事、各種教室などの世界で、
「お師匠さん」を頂点とした(「お師匠さん」の、そのまた「お師匠」さんとか)
ピラミッド型の世界や小宇宙があり、そこに入ると、
義理人情のしがらみもあったりして、
「先生が主催しはる会やから馳せ参じないといけない」とか、
「一門会なので、末席をけがす者として、公演のチケット普及を受け持つ」、
といったこと(良し悪しは別として)が、少なくないように思うのは、私だけでしょうか。

もちろん、行く・行かないは、一人一人の自由ですが、
プロ・プレイヤーである妹尾さんが

「生徒やからといってライブに来ることを強制しない」、

ということをハッキリ言わはったのことには、
「ライブはライブ」「生徒は生徒」ということで、

「ああ、すごい見識や」

と感動したものでした。

実際、妹尾さんから、「俺のライブに来い」
と言われたことは一度もありません。
生徒としては「忖度」する必要がありません。

ただ、この日、妹尾さんは続けて、

「このライブだけは来い!」

と言わはったんです。

それが京都のライブハウス「陰陽(ネガポジ)」で行われる、
日本のブルースバンド「ローラーコースター」のライブでした。

で、私は行きました。

関西では、ローラーコースターのライブはなかなか体験できません。

持っていたローラーコースターのCD(妹尾さんフューチャーのもの)を持参。

IMG_2674.jpg


このときは妹尾さん、小出さん、山崎さん、小町さんの4人編成。
1部のあとの休憩時間に妹尾さんが楽屋に連れていってくれはりまして、
メンバーの皆さんに「こいつ、おれの生徒や」と紹介してくれはりましたもので、
緊張しながら、サインをお願いしました。

IMG_2675.jpg


ドラムスの山崎さんが、

「音、でかくないですか?」

と聞きはりましたもので、

「いえ、全然大丈夫です」

と答えました。

当日のライブでどんな曲が演奏されていたのかは何も覚えていません。
音はたしかに大きかったのかもしれませんが、しかし、うるさくない。

それは、ボリュームの大小ではなく、音の存在感・説得力というのでしょうか。
そして、はもにか、歌、ギター、ベース、ドラムス、それぞれのパートが、
ちゃんと聞こえてくるのです。いつまで聞いていられるのです。

この日、「ローラーコースター」を体験できたのは幸せでした。

「みんな、ここに来て飲んで、しゃべれ」 妹尾さんのことば#13

 2018-05-23
京都での「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」の、
会場のライブハウスがつぶれて、個人宅で開かれるようになったのが、
1998年1月のことでした。

ちょうどそのころ、京都・木屋町に、
「OUT LOOP-WAY」というブルースバーがオープン。
開店記念のライブに妹尾さんも出演しはりまして、
私たち生徒も聞きに行きました。

そのライブの前後だったと思いますが、
妹尾さんは生徒たちをOUT LOOP-WAYに連れて行き、

「教室の名前でボトルキープしとくから、
 教室終わってからとか、いつでも来て飲んだらええ。
 そうして、ここでハーモニカやブルースのこと、
 みんなで語り合え。ええな」

ということで、妹尾さんがバーボン(フォアローゼス)のボトルを、
お店においてくれはったのでした。

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私はこれで初めてバーボンというお酒を飲んで、

「おいしいもんやなあ」

と思ったのでした。

妹尾さんが、

「ボトルが空いたら、次のを入れたらええ」

とも言うてくれはったものですから、飲める生徒は、
よく通って、どんどん飲んだものです(笑

何か月かあと、マスターの三田さんが、

三「妹尾さん、バーボンのボトルキープ代、たまってます」

妹「おう、なんぼや?払うで」

三「〇万円です」

妹「うっ・・・。わかった」

はもにかを教えるだけでなく、
生徒のたまり場として、
新しくできたブルースバーも育てていこうという、
妹尾さんの心意気を感じて、涙が出そうになりました。

こういうのって、損得抜き、ですやんか。

いまから20年前、妹尾さんと出会って、
そういう体験をさせてもらえたことは、宝です。



「きもの暮らし」は、どうなったのか?

 2018-05-22
当ブログのタイトルは「はもにか生活 男のきもの暮らし」
この間、更新が滞っていたのは、いろんな事情がありますが、
仕事の責任がかつてより重くなり、
以前と比べてライブ活動もそんなにできなくなっている事情があります。

「きもの暮らし」については、
きものを着ることがすでに特別なことではなくなって、
(その意味で暮らしに密着するようなった)
とりたてて書くようなことではなくなったことと、
それと比例して、きものを着て出かける機会が激減しています。

仕事の場面できものを着るということは基本的にありません。

勢い、仕事が忙しくなれば、休日も何もあったものではなく、
とくに2015年くらいからは激動の日々で、
いまではきもので出掛けるのは月に1回あればいいほどか・・・

そういう中でも、手持ちのきものや袴のメンテナンスは欠かさず、
2009年に求めた綿麻の普段袴は、
いまの季節から盛夏、秋口にかけて「頼もしい味方」です。

こないだの日曜日(5月20日)は、
その綿麻袴に川越唐桟で梅田に映画を見に行き、
帰路は中之島、大阪城公園経由で谷六まで歩いて帰りました。


中之島公園、「バラの小径」入り口にて。

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中之島公園の東、天神橋に上がる階段で、
船客に手を振る奥様(この日は伊勢木綿)

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と、気楽なきものを暮らしは、
いまも自分のペースで続けています。

「それは、あかん!!」  妹尾さんのことば#12

 2018-05-22
私が10穴はもにかを初めて手にしたのは1995年のこと。
その2年半後に京都の「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」へ、
通い始めたころでも、自分がこの先、
ライブでステージに立つとか、そいうことは、
何も考えていませんでした。

当時、仕事で駆け回りながら、子育て真っ最中で、
バンドを組んでライブをするとか、そんなことは、
想像を絶するというか、無縁の世界でした。

だいたい、ブルースがやりたくてこの楽器を選んだ、というよりも、
たまたま手にしたのが10穴はもにかで、

「この楽器でどんな音楽がつくられているのか」

ということで「黒人ブルース」と出会い、
練習をする中で、妹尾さんの教則ビデオを知り、
そのご本人から直接習えるチャンスが関西である、
ということで、ジムの生徒になったという、
「ブルース界」からみれば、変な経歴?の持ち主でした。

(それまで私はクラシックばかり聴いていた)

ジムに通う前、ある音楽雑誌で、妹尾さんが開発に参画した、
はもにか専用アンプの記事を読んで、そこで、妹尾師が、

「ブルースは一人でも、千人でもやれる」

ということを述べてはるのを読みました。

人前で演奏したこともなく、
バンドでライブなど思いもよらなかった私は、
この妹尾さんの言葉に励まされた思いで、
ジムに通うようになってから、そのことを妹尾さんに話しました。

「一人でもできるということは、バンドとかでなく、一人で吹いてもいいんですよね」

と。妹尾さんはすかさず、「それは、あかん!」。

「ひとり吹きというのは、バンドも経験して初めてできることで、
 とりあえず『ひとりで吹いたらええ』というのは、安易で、
 寂しい音にしかならへんのや」

とのこと。

私は、こうしてはもにかを習っていても、
この先、いったいどうすればいいのか、
いったい、何になるのか・・・・と、途方に暮れたものでした。

後年、私はご縁を得てデュオやバンドでライブさしていただくような、
そんな機会にも恵まれ、そんな中で、
ひとり吹きの「はもにか出前」もするようになりましたが、
今振り返ると、自分が人前で演奏さしていただくようなことは、

「何かの間違いだった」

と思わないでもありません。


妹尾さんも開発に参画したはもにか専用アンプ。
真空管のは某ライブハウスに寄付しましたが、
小さい方は、ずっと手元にあります。
 ↓

IMG_2653.jpg

「音楽を体現している人間と一緒にいる、そのことを感じろ」 妹尾さんのことば#11

 2018-05-21
京都での「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」、
とくに会場のライブハウスが突然つぶれて、
個人宅を会場に開かれていた時期のこと。

ジム(教室)は月2回、夜でしたが、
日によっては、妹尾さんも私たち生徒も、
一回もはもにかを手にしないということもありました。

妹尾さんが、いろんなことをしゃべりはるのを、
みんなで聞いたりして、それで終わりということです。

あるとき、誰か(私ではない)が、

「妹尾さん、ハーモニカ、ちゃんと教えてください」

と言ったことがあります。妹尾さんは即、

「何を言うてるんや。そんなこと、どうでもええ」

と。

「俺という、音楽を体現している人間と一緒にいるということ、
 そのことを感じんで、どうするんや」

と言わはりました。

なんやかんやいうて、練習は自分でやるもの。

では、妹尾さんであれ、誰であれ、
誰かを師と仰いで習いに行くのは、どうしてか?

私は、ひとときであっても、
妹尾隆一郎という人と、同じ時間を過ごせるだけで幸せでした。

当時の、妹尾さん直筆の教室資料
 ↓
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プロフィール

こにし すすむ

Author:こにし すすむ


京都・西陣生まれ。大阪の「勤め人はもにか吹き」です。

木綿を中心に、普段のきもの暮らしを楽しんでいます。

▼2005
FIH JAPAN第25回コンテストブルース部門1位
▼2006~
デュオ「こにしんぼ」などで神出鬼没。「出前はもにか」などで活動中

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