「みんな、ここに来て飲んで、しゃべれ」 妹尾さんのことば#13

 2018-05-23
京都での「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」の、
会場のライブハウスがつぶれて、個人宅で開かれるようになったのが、
1998年1月のことでした。

ちょうどそのころ、京都・木屋町に、
「OUT LOOP-WAY」というブルースバーがオープン。
開店記念のライブに妹尾さんも出演しはりまして、
私たち生徒も聞きに行きました。

そのライブの前後だったと思いますが、
妹尾さんは生徒たちをOUT LOOP-WAYに連れて行き、

「教室の名前でボトルキープしとくから、
 教室終わってからとか、いつでも来て飲んだらええ。
 そうして、ここでハーモニカやブルースのこと、
 みんなで語り合え。ええな」

ということで、妹尾さんがバーボン(フォアローゼス)のボトルを、
お店においてくれはったのでした。

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私はこれで初めてバーボンというお酒を飲んで、

「おいしいもんやなあ」

と思ったのでした。

妹尾さんが、

「ボトルが空いたら、次のを入れたらええ」

とも言うてくれはったものですから、飲める生徒は、
よく通って、どんどん飲んだものです(笑

何か月かあと、マスターの三田さんが、

三「妹尾さん、バーボンのボトルキープ代、たまってます」

妹「おう、なんぼや?払うで」

三「〇万円です」

妹「うっ・・・。わかった」

はもにかを教えるだけでなく、
生徒のたまり場として、
新しくできたブルースバーも育てていこうという、
妹尾さんの心意気を感じて、涙が出そうになりました。

こういうのって、損得抜き、ですやんか。

いまから20年前、妹尾さんと出会って、
そういう体験をさせてもらえたことは、宝です。



「きもの暮らし」は、どうなったのか?

 2018-05-22
当ブログのタイトルは「はもにか生活 男のきもの暮らし」
この間、更新が滞っていたのは、いろんな事情がありますが、
仕事の責任がかつてより重くなり、
以前と比べてライブ活動もそんなにできなくなっている事情があります。

「きもの暮らし」については、
きものを着ることがすでに特別なことではなくなって、
(その意味で暮らしに密着するようなった)
とりたてて書くようなことではなくなったことと、
それと比例して、きものを着て出かける機会が激減しています。

仕事の場面できものを着るということは基本的にありません。

勢い、仕事が忙しくなれば、休日も何もあったものではなく、
とくに2015年くらいからは激動の日々で、
いまではきもので出掛けるのは月に1回あればいいほどか・・・

そういう中でも、手持ちのきものや袴のメンテナンスは欠かさず、
2009年に求めた綿麻の普段袴は、
いまの季節から盛夏、秋口にかけて「頼もしい味方」です。

こないだの日曜日(5月20日)は、
その綿麻袴に川越唐桟で梅田に映画を見に行き、
帰路は中之島、大阪城公園経由で谷六まで歩いて帰りました。


中之島公園、「バラの小径」入り口にて。

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中之島公園の東、天神橋に上がる階段で、
船客に手を振る奥様(この日は伊勢木綿)

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と、気楽なきものを暮らしは、
いまも自分のペースで続けています。

「それは、あかん!!」  妹尾さんのことば#12

 2018-05-22
私が10穴はもにかを初めて手にしたのは1995年のこと。
その2年半後に京都の「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」へ、
通い始めたころでも、自分がこの先、
ライブでステージに立つとか、そいうことは、
何も考えていませんでした。

当時、仕事で駆け回りながら、子育て真っ最中で、
バンドを組んでライブをするとか、そんなことは、
想像を絶するというか、無縁の世界でした。

だいたい、ブルースがやりたくてこの楽器を選んだ、というよりも、
たまたま手にしたのが10穴はもにかで、

「この楽器でどんな音楽がつくられているのか」

ということで「黒人ブルース」と出会い、
練習をする中で、妹尾さんの教則ビデオを知り、
そのご本人から直接習えるチャンスが関西である、
ということで、ジムの生徒になったという、
「ブルース界」からみれば、変な経歴?の持ち主でした。

(それまで私はクラシックばかり聴いていた)

ジムに通う前、ある音楽雑誌で、妹尾さんが開発に参画した、
はもにか専用アンプの記事を読んで、そこで、妹尾師が、

「ブルースは一人でも、千人でもやれる」

ということを述べてはるのを読みました。

人前で演奏したこともなく、
バンドでライブなど思いもよらなかった私は、
この妹尾さんの言葉に励まされた思いで、
ジムに通うようになってから、そのことを妹尾さんに話しました。

「一人でもできるということは、バンドとかでなく、一人で吹いてもいいんですよね」

と。妹尾さんはすかさず、「それは、あかん!」。

「ひとり吹きというのは、バンドも経験して初めてできることで、
 とりあえず『ひとりで吹いたらええ』というのは、安易で、
 寂しい音にしかならへんのや」

とのこと。

私は、こうしてはもにかを習っていても、
この先、いったいどうすればいいのか、
いったい、何になるのか・・・・と、途方に暮れたものでした。

後年、私はご縁を得てデュオやバンドでライブさしていただくような、
そんな機会にも恵まれ、そんな中で、
ひとり吹きの「はもにか出前」もするようになりましたが、
今振り返ると、自分が人前で演奏さしていただくようなことは、

「何かの間違いだった」

と思わないでもありません。


妹尾さんも開発に参画したはもにか専用アンプ。
真空管のは某ライブハウスに寄付しましたが、
小さい方は、ずっと手元にあります。
 ↓

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「音楽を体現している人間と一緒にいる、そのことを感じろ」 妹尾さんのことば#11

 2018-05-21
京都での「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」、
とくに会場のライブハウスが突然つぶれて、
個人宅を会場に開かれていた時期のこと。

ジム(教室)は月2回、夜でしたが、
日によっては、妹尾さんも私たち生徒も、
一回もはもにかを手にしないということもありました。

妹尾さんが、いろんなことをしゃべりはるのを、
みんなで聞いたりして、それで終わりということです。

あるとき、誰か(私ではない)が、

「妹尾さん、ハーモニカ、ちゃんと教えてください」

と言ったことがあります。妹尾さんは即、

「何を言うてるんや。そんなこと、どうでもええ」

と。

「俺という、音楽を体現している人間と一緒にいるということ、
 そのことを感じんで、どうするんや」

と言わはりました。

なんやかんやいうて、練習は自分でやるもの。

では、妹尾さんであれ、誰であれ、
誰かを師と仰いで習いに行くのは、どうしてか?

私は、ひとときであっても、
妹尾隆一郎という人と、同じ時間を過ごせるだけで幸せでした。

当時の、妹尾さん直筆の教室資料
 ↓
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「マックシェイク、買うてこい!」 妹尾さんのことば#10

 2018-05-16
これは、「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」が、
まだライブハウスを会場に開かれていた時期の話。

その日のジム開講前に、妹尾さん、お金を出しながら曰く、

「おう!、マックシェイク、人数分買うてきてくれるか。お前と、お前」

ということで、最寄りのマクドナルドに行って、
マックシェイクを買ってきました。

私はそれまで、「マックシェイク」というものを、
飲んだことがありませんでした。

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これは、妹尾さんが生徒に「奢ってやろう」ということではなく、
トレーニングジムの教材だったのであります。

はもにかという楽器は「吹く」と「吸う」の両方の息遣いで音をつくります。

で、最初のうち、難儀するのは「吸う」。

しかも、ブルース音楽では「吸う」ことでつくるフレーズも多い。

普段、暮らしているとき、無意識の状態では
「吹く」も「吸う」も自然にやっていますが、
いざ楽器を唇に当てて「吸う」段になると、
すぐに苦しくなったり、その割に音が「つぶれて」いたり・・・

で、はもにかにとって理想的な「吸う」感覚は、
妹尾さんによれば

「マックシェイクをストローで飲むのと一緒」

買ってきたマックシェイクを生徒一同に配って吸わせ、

「どんな風に吸えば、ちゃんとマックシェイクが口の中に入るか、
 観察してみろ」

というのが、その日のトレーニングでありました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう挿話なら、いくらでも書くことがありますが、
さて、この連載、何回続くのか?

ただ、自分自身は書きながら、当時のことを思い出して、
いわば初心に返っていま、日々の練習をしています。

久しぶりに「マックシェイク」、飲んでみようかしら。

基本の通勤ルート+α(熊野街道) 上町台地暮らし

 2018-05-16
5月16日。いつものように徒歩出勤。

長堀通から、谷町筋の一つ東の五十軒筋へ。

長堀通から五十軒筋に入るところにコンビニがあり、
その横に大阪市の「熊野街道」顕彰碑があります。

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そのまま五十軒筋を南下、
「空堀ど~り商店街」に突き当たる手前にも、
大阪市の「熊野街道」顕彰碑。

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この向かいにあるのが居酒屋「スタンド・そのだ」。

情報誌にも紹介されて、いつも行列ができていますが、
私はまだ行ったことがありません。

(何しろ私は自宅で「居酒屋こにし」をやっていますので)

「空堀ど~り」商店街に突き当たった熊野街道は、
少しだけ左折して、すぐ南へ下ります。

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この先の高低差が、豊臣期大坂城の惣構・空堀の痕跡。
急坂を下ったところにある大阪市立上町中学の前にも、
「熊野街道」顕彰碑があります。

この坂は下らずに「空堀ど~り商店街」を東へ。
上町筋を渡って清水谷方面に歩いて、
普段の通勤ルートへ。

清水谷公園の高低差。右奥が谷の底です。

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基本の通勤ルート~上町台地暮らし

 2018-05-15
毎朝、谷六(谷町六丁目)の家を発して、
東へ玉造界隈まで徒歩通勤。

いろんなルートをたどりますが、
最近は基本的な経路が定着してきました。

谷六から上町筋まで出て少し南下して東折、
住宅地を抜けて、天王寺区の清水谷公園の北側へ。
ここから先は、かなりの段差があります。

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起伏に富んだ坂と段差、谷を日々楽しめます。

その先の辻。北は長堀通を越えて上りになる「女学院坂」

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南は「心眼寺坂」で上りになります。
この坂の右手(西側)奥にある大阪明星学園が「真田丸」推定地。

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この辻の西南角に、真言宗「善福寺」、通称「どんどろ大師」があります。

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人形浄瑠璃・歌舞伎「傾城阿波鳴門」の「どんどろ大師」の場に出てきますね。

母・お弓と娘・おつるのブロンズ像があります。

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「どんどろ大師」夕景。提灯に火が入ります。

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長年この道は歩いて行き来してきましたが、
住み暮らすようになってから歩いてみると、
以前とは違う感慨があります。


「俺の耳は聖徳太子並みや」 妹尾さんのことば#09

 2018-05-13
「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」は、
グループでのレッスンで、バンプにしろ、基本フレーズにしろ、
ほとんど生徒がいっせいに音を出すわけです。

あるとき、生徒の誰かが、

「それで、僕ら一人一人のことが分かるんですか」

と尋ねたところ、妹尾さん曰く、

「分かる。俺の耳は聖徳太子並みや」

聖徳太子は一度に10人の言うことを聞き分けたとされています。

妹尾さん曰く、

「まあ、いまここにいる7人がで同時に音を鳴らしても大丈夫やな」

実際、同時に音を出していても、

「お前は、そこ、ちゃうな」

とか、

「ベンドの音が下がりきってないな」

など、即座にチェックが入ったものです。

音楽のおおもとにあるのは「聴く」こと。
妹尾さんのようにはいかなくても、
「聴く力」を磨くことを、おろそかにしてはいけないと思います。

大阪・四天王寺南大門前の聖徳太子パネル
 ↓
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雨の熊野街道

 2018-05-13
5月13日、雨の昼下がり。
大阪市中央区安堂寺町2丁目、
長堀通の一つ北を東西に通じる安堂寺町通。

この近所に住むようになって、もうじき9カ月。
昨年5月1日に天満橋八軒家浜を起点に、
大阪市域の熊野街道を住吉大社まで歩きましたが、
まさかそのときは、その沿道に住んで、
旧街道筋を毎日のように行き来することになるとは、
思ってもいませんでした。

大阪市域の熊野街道の公式比定ルートには、
道筋には顕彰の銘板や「つたい石」があります。
(現在の大阪市域内の熊野街道の経路について、他の説も)


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八軒家浜から南下して最初に東折するところが、
ちょうど安堂寺町通です。

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わが家からは大阪城や史跡難波宮は、ほん近所。
熊野街道のルートをたどれば四天王寺まで四半刻ほど。
高津宮、いくたまさん、天王寺七坂、それに合邦辻なども徒歩圏内。
国立文楽劇場は徒歩20分です。

古代からの歴史が積み重なった上町台地に暮らし、
あちこちを往来するだけで、
いろんなことが「タダ(無料)」で楽しめます。

そのあたりのことを、随時書いていきたいと思います。

「俺は基礎しか教えない」 妹尾さんの言葉#08

 2018-05-11
京都の「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」に通っていたのは、
なにしろ20年前のことですので、どうしても記憶はあいまいになってます。

それがいつごろのことなのか、今となっては定かではありませんが、
重く受け止めた「妹尾さんのことば」を、この間、書いています。

あるとき、妹尾師曰く、

「俺は基礎しか教えない」

ジムでは、吹き吸いをリズミカルに繰り返す

「バンプ奏法」

を、そうですね、実質、かれこれ1年くらいやっていたでしょうか。
(1年4カ月の期間のうち)

そのあと、Little Walterの名曲「Juke」を、
妹尾さんが練習曲用にアレンジした、
「妹尾版Juke」をやって、それでジムは終わりです。

「基礎しか教えない」という理由について、妹尾師曰く、

「こういうアドリブがかっこええとか、
 そいうフレーズは間違ってる、と指摘することは、
 『俺の型』にハメることになるからや」


これまでから、たまに、

「はもにかが上達するには、教室やレッスンに通わなないと、ダメですか」

といった趣旨の質問を私も何度か受けたことがあります。

たぶん、先生が誰であれ、
教室やレッスンに通うことと、上達とは、
本質的に関係がないと思います。

練習して、音の出し方を探って身につけるのは、
あくまでその人自身ですから。

教室に通った経験がなくても、
素敵な音を出しているハーピストはいくらでもいます。
かつて教室に通ったとしても、パッとしない、
私みたいなはもにか吹きも、厳然として、います(笑)。

妹尾さんのことばは、

「基礎は叩き込んだ。あとはお前ら一人一人次第や」

と突き放しているようにも聞こえますし、

「お前ら」一人一人の「可能性」(将来、どんな風になるかわからない)への、
無限の信頼・・・・(人間への信頼)

というふうにも、私は受け取れます。

なので、どんな局面になっても、
私はいまだに、毎日、はもにかを持ち歩いて、
音を出す練習を続けています。

当時の妹尾さん直筆の教室資料より
 ↓
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プロフィール

こにし すすむ

Author:こにし すすむ


京都・西陣生まれ。大阪の「勤め人はもにか吹き」です。

木綿を中心に、普段のきもの暮らしを楽しんでいます。

▼2005
FIH JAPAN第25回コンテストブルース部門1位
▼2006~
デュオ「こにしんぼ」などで神出鬼没。「出前はもにか」などで活動中

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