塩次さんの思い出
2008-10-21
いつものように月曜日が来て、あっという間に、日付が変わってしまった。
人は、自分の思いの丈を、何で伝えるでしょうか。
音楽、踊り、芝居、絵…さまざまある中で、
私ははもにかも吹いていますが、
それと同じくらいに欠かせないのが、「書くこと」です。
亡くなられたブルースギター・マスター、塩次伸二さんについては、
私はステージは何回か体験しましたが、
ご本人と言葉を交わしたことは、一度もありません。
なので、塩次さんを語る資格とてありませんが、
ごくごく、ささやかな思い出だけを書きます。
97年の9月、京都で開かれることになった、
妹尾隆一郎さんのはもにか教室に通うことにした私は、
南座向かいのライブハウス「ムーン」(今はない)に出掛けました。
そこでもらった、生徒募集用のチラシを今も持っています。
「単なる音楽教室ではない」
「妹尾隆一郎・塩次伸二 この二人が本気を出した
Blues Training Gym開設!!」
とあって、それで初めてはっきり、塩次さんのことを、
認識したような、右も左もわからん私でした。
妹尾さんは、生徒に対して、自身のライブを「観に来い」とか、
基本的に言わない方ですが、
教室で習っていた1年4カ月の間に、
「これは、観ておけ」と言いはったのが、2度ありました。
その2度とも観に行きましたが、
1つは、当時妹尾さんが在籍していた
老舗ブルースバンドの「ローラーコースター」。
もう1つは、妹尾さんと塩次さんのデュオで、
「おう、わかってるか。俺と伸ちゃんがやるんやで」
という話でした。
京都御所の南にあるライブハウス「陰陽(ネガポジ)」。
どんな曲をやりはったのか、忘れてしまいましたが、
2人だけなのに、とにかく分厚いステージで、
まるで「ゴジラ対キングギドラの激突」みたいだったのを、
覚えています。
当時、まだ私はブルースセッションにすら出たことがありませんでした。
それから塩次さんの演奏を何度か聴く中、
月日は流れて2004年。
妹尾さんと塩次さんが、デュオのライブCD「S.R.S.S.」を、
限定プレス・ネット通販オンリーで出すということを聞いて申し込みました。
CDはシリアルナンバー入りで、私のは「83」
1曲目のインスト「U's Blues」、
3曲目の「Blues With A Feeling」で、
何故か涙が溢れました。
そして、その「Blues With A Feeling」を自分なりにやって、
2005年のはもにかコンテストに出たのでした。
このCDは、何度聞いたかわかりません。
いつも勇気をもらいました。
きのうも、きょうも、これを聴いていました。
2005年の秋、現在「こにしんぼ」で一緒にやってくれている、
ジュンヤ君が、「よかったら、やりませんか」と連絡をくれました。
ジュンヤ君は、塩次さんの教室にも通い、
「こにしんぼ」の練習を始めた当時、
勉強も兼ねて、塩次さんの「ボーヤ(バンドボーイ)」もやっていました。
「こにしんぼ」でよく演奏する「My babe」(リトル・ウォルター)は、
我々がやるにあたって、ジュンヤ君は塩次さんに、
ギターのバッキングを目の前で弾いてもらい、それを参考にして、
ジュンヤ流・こにしんぼ流にやっています。
わが家の猫額の庭に、何種類かの木が植わっています。
よく眺めるのですが、
鳥や蝶がやってくるし、
夏には蝉が羽化をし、
根元を見れば、アリやダンゴムシが歩き、
ミミズが顔を出すことがあります。
1本の小さな木が生えているだけでも、
そこには自然や宇宙があるのだと、しみじみ思います。
まして、太い幹に葉が生い茂り、深く広く根を張った大木ならば。
その大木が、倒れた。
塩次さん、ありがとうございました。
そして、安らかにお眠りください。
改めて、心からご冥福をお祈りします。
なんという一日か。
2008-10-19
先に書きました、早朝から塩次さんの訃報に接し、しかしきょうは、予定通りの行動の中、
きものに着替え、日本舞踊の会で掛け声、
会場に行くため、最寄のJR駅までバスに乗り、
バスの中で、知人にメールで、
塩次さんの最期のことを書き送り、
私の師匠の妹尾さんのことも、あれこれ考え、
自分が吹いているはもにかのことも、あれこれ考え、
書いてみれば、書くほどに、
悲しみと、悔しさがこみ上げて、
JR駅で、うちの奥さんに、
「なんで、そんなに怖い顔をしているのか」
と指摘され。
しらんがな。
考えれば考えるほど、落ち込んでしまうので、
「怖い顔」でも、何でも、それは、しらんがな。
やがて着いた、満員の日本舞踊の会では、
知人がそれはそれは、見事な舞姿で、
それに半年振りで、掛け声をかけ、
知人の出番が終わって、楽屋にあいさつに行き、
扮装のままの知人、
「ああ、世の中に、こんな美しいものがあるんやなあ」と思い、
あいさつ後、一緒に行ったみなさんと遅めの昼食で、
私は生ビールを2杯をたてつづけに飲み。
大阪環状線で天王寺まで出て、
阿部野橋から阪堺電車で帝塚山へ。
天王寺で、きものの男性を見かける。
大勢人がいるところに出れば出るほど、
「今の世の中に、きものなんて、誰が着るねん」
と思いつつ。
きょうは女性のきものは割と見た。
しかし、多くは華道関係者(見ればわかる)と、あとは、
舞踊会でも観客のかなりの部分はきものだったが、
男は私以外はゼロでっせ。
そんなこと思いつつ、
ガタゴトと、阪堺電車に揺られて帝塚山へ。
宮崎の「染織 こだま」さんの若きエース
健作さんの同級生で、現代美術家の「小松孝英 」さんの個展鑑賞
http://www7b.biglobe.ne.jp/~koei/
エネルギーあふれんばかりの作品群。
ああ、なんという1日。
10年分くらいが、いっぺんにやってきたような。
すいません、とりとめなくて。
塩次さん
2008-10-19
今朝6時半ごろ、寝ぼけ眼で枕元の携帯を見ると、Eメール着信の表示。
見ると、私のはもにかの師匠の妹尾隆一郎さんからで、
一読、布団の上に座りなおしてしまいました。
自他共に認める、日本のブルースギター・マスターの
塩次伸二さんが亡くなられたとの知らせでしした。
19日午前0時20分、
栃木県佐野の救急病院で息を引き取られたとのこと。
きょうは朝からきものに着替え、
日舞をやっている知人の舞台に声を掛けにいく予定で、
塩次さんのことをいろいろ考えながら、
羽織に羽織紐を通しているとき、
東京妹尾教室の卒業生で、
妹尾師や塩次さんの各地のライブに同行している、
Sさんから携帯に電話が入りました。
塩次さんと妹尾師はちょうどライブで各地を回っていた途中で、
Sさんも同行していました。
18日は、栃木県佐野でのデュオライブ、
今夜は、東京でのデュオライブの予定でした。
倒れる直前までの塩次さんの様子、
妹尾師と一緒に、その最期を看取ったときの現場の様子を、
Sさんから聞かせていただきました。
ブルースに魅せられ、70年代から、
妹尾師らとともに、日本でブルースを演奏し、種を蒔き、
今も第一線で活躍してきた人。
私など、ブルースの末端で、はもにかを吹いている者も、
どこかで、間違いなく、つながらせてもらっていた人。
ご冥福をお祈りします。
朝ドラ『だんだん』
2008-10-01
NHK朝ドラは、長年見ていなかったのですが、「純情きらり」あたりから、だいたい見ています。
BSの放送時間帯がちょうど朝食時間で。
なんで見ているかというと、
一つは、けっこう、きもの姿があるからで、
今回の「だんだん」では、
ずばり京都の祇園町が重要な舞台の一つなので、
「きもの」「きもの」であります。
今のところ、舞妓さんというより、
女将の藤村志保が、なんといってもカッコいいなあ〜




