沢田研二 「我が窮状」
2008-12-27
NHKで「篤姫」の総集編を見たあと、ジュリーのライブを見ています。
カッコよろしなあ、色気ありますなあ。
ことし何度か聴いた――「我が窮状」。
「我が窮状/守れないなら/真の平和ありえない
この窮状/救えるのは静かに通る言葉
我が窮状/守りきりたい/許し合い/信じよう」
字にすれば、「ごつごつ」した感じの歌詞なのに、
ジュリーが歌えば、なんと美しい。
いま、この時代に、いまのジュリーだからこそ、
うたう歌でしょうか。
「窮状」とは「九条」、つまり日本国憲法第九条。
先日、私の誕生日にわが家に来た父親が言ってました。
「戦争中は西陣は壊滅で」
第2次大戦中、京都はたまたま空襲にあいませんでした。
「たまたま」というのは、ほんとうに「たまたま」で。
京都は原子爆弾投下の候補地でもあったから。
戦時中、「贅沢は敵だ」と、やり玉にあがった呉服。
ましてや金襴の西陣がこうむった打撃はどれほどだったか。
かつまた織り手は戦争に狩り出され。
そして戦後、「復興」の中で一気に洋装となり……
京都育ちのジュリー。
西陣のことも、いくらか念頭にあるかどうか、
それはわかりません。
それは聴き手が唄に重ねているだけかも知れませぬが。
いまの時代も、「きものは贅沢」でしょうか。
確かに、私ども夫婦の生活では、比較的「手ごろな値段」とされる、
木綿きものをつくるにしても、それはある種、実は「勇気」のいる決断です。
それでも、きものは着たい。
かつては「贅沢は敵」、いまなら「自己責任」などと、
その実、問答無用に、人間一人ひとりが
「その人らしくあること」
を押しつぶすような、そんな理不尽は、御免こうむりたい。
「窮状」であっても、いや、「窮状」の中にあってこそ、
そんな「きものの着方、楽しみ方」もあってはいいではないかと。
要は私は、きものが好きで、「きもの暮らし」がしたい、
ということだけなんですけど。
