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歌舞伎は歌舞伎で見物しています。

 2016-05-03
「文楽デビュー」の「連載」が続いていますが、
歌舞伎をやめたわけではありません。

先月(4月)も東京出張のついでに、
歌舞伎座に立ち寄って、一幕見席で声を掛けてきました。

十五代目が「昼の部」の最後の「身替座禅」と、
夜の部の最初の「彦山権現誓助剣」に出はりましたもので、
両方とも一幕見の切符を並んで求める。

DSCN1147.jpg

DSCN1146.jpg



去年は4回上京、うち2回はついでに歌舞伎座へ。
ことしは4月が最初の上京でしたが、しっかり歌舞伎座へ。

去年、地元の関西で歌舞伎を見物したのは、
京都の顔見世だけでしたので、実は東京で歌舞伎、というケースが多い私。

ただ、掛け声は、その顔見世から、

「自分の贔屓の役者さんと、その一門にだけ掛ける」

ということに、徹するようにしています。

これも、50歳にして、自分としては新基軸。



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「本来」の大向こう

 2015-12-26
ことしの京都・南座の吉例顔見世興行、
千穐楽の切符(3階席)は残念ながら入手できませんでしたが、
きのう・12月25日の夜の部に行ってきました。

DSCN0797.jpg



四代目中村鴈治郎襲名披露ということで、夜の部で口上。

上品かつ華やかな引幕でした。

DSCN0791.jpg



「勧進帳」で義経を勤めたのは、新鴈治郎の息・壱太郎丈
五代目翫雀・三代目扇雀のダブル襲名(道頓堀・中座)での初舞台の姿を見ました。
それから、あっという間に20年が経ったんですね~。

私は木戸御免のときは、
主な役者衆にはまんべんなく掛け声を掛けていましたが、
きのうは、贔屓の松嶋屋一門、襲名の成駒屋一門を中心に、

「掛けたい」と思う役者さんにだけ、声を掛けました。

「勧進帳」で弁慶に最初から最後まで声を掛けなかったのは、
私の歌舞伎見物人生の中で、初めてのこと。

しかし、それが本来の掛け声のあり方なんやろうと思います。



當る申歳 吉例顔見世興行 または南座の事。

 2015-11-28
京都・南座の「吉例顔見世興行」の初日(11月30日)が近付いています。

写真は2008年の顔見世当時の南座外観。

みなみざまえ



去年、久しぶりに見物に出掛けましたが、
ことしも千穐楽(夜の部)に行くつもりで、明日が後半分の前売り開始。

無事、切符が取れますように。



私が初めて南座の中に入ったのは、たぶん小学生のころ。
詳しい記憶は残っていませんが、祖父母に連れられ、
一階ロビーのごく薄暗い雰囲気(いくらか妖しげな)だけ、
ぼんやりと覚えています。

京都生まれ・育ちの私が、自分の意思で切符を買って南座に行ったのは、
高校2年生のときですから、1982年、いまから33年前、
顔見世興行の千穐楽でした。

二代目中村鴈治郎が昼の部、「新口村」の忠兵衛で出演して、
それが最後の舞台となった顔見世。

私は「勧進帳」が出る夜の部だけを観に行きました。
二代目鴈治郎を観ることができなかったことは、
いまでも悔やまれます(当時は初心者で詳しいことは考えなかった)。

月日は流れて、ことしの顔見世は「四代目鴈治郎」の襲名披露。



私が生の歌舞伎を初体験して以来、
10代に歌舞伎に親しんだ「昭和の南座」は役割を終え、
新装開場された1991年には私は大阪で住み暮らし、はたらいていました。

「昭和の南座」を記録した写真集。

DSCN0510.jpg


図書館で借りて何度か眺めていましたが、
2年ほど前、大阪の古書店で破格値で出ていたので「即買い」。


新しい南座も、舞台の檜が張り替えられ、
去年の顔見世がその「舞台開き」を兼ねた興行で、記念の品として、
以前の檜舞台から削り出した「しおり」が販売されており、
私も一枚、買い求めました。

DSCN0509.jpg



使わずに、おいてあります。

高校野球児が「甲子園の砂」を持ち帰るようなものか?


芝居小屋にしろ、ライブハウスにしろ、
その空間独特の「におい」があります。

私が青春時代に通った「昭和の南座」は、
上階に行く途中、鴨川側のロビーに「うどんや」があって、
「だし」のいい匂いがしたりしていました。

さらに、女性客の香水、化粧の香り、
役者衆、観客の息遣いや熱気、悲喜こもごも、
そういうものが積もり積もって

「小屋のにおい」

をつくりだしているのではないでしょうか。


南座が新装開場したときは、中に入ると、
建材や塗料の匂いばかりが先に感じられて、
どこか落ち着かない気がしていました。


新装開場から約四半世紀、
いまの時代の南座の匂いが醸し出されているように思います。

三階席より。

南座三階席



雪の南座(2010年の大晦日)

雪の南座



「阿国歌舞伎発祥之地」とされる四条河原、
その地にいまも建つ南座は、公式サイトでも、

「元和年間(1615~1623年)京都四條河原に公許された
 7つの櫓の伝統を今に伝える唯一の劇場」

とされています。


京都に生まれ育った者として、南座の存在は誇りですが、
それと同じくらい大阪で住み暮らし、働いてきた者として、
いろんなことを考えさせられるのが、大阪の

「道頓堀」

です。

この件については稿を改めます。


忠臣蔵 「復讐」ならぬ「復習」

 2014-12-01
ことしは久しぶりに京都・南座の「顔見世」に出掛けることにしました。
切符は無事押さえて、千穐楽の夜の部。

夜の部一番目の「仮名手本忠臣蔵・九段目 山科閑居」は、
奥様は初めて見る芝居です。

私も事前にレクチャーしますが、参考書を勧める上で、
忠臣蔵関係の蔵書を、あらためて読む。

DSCN9966.jpg


①東京創元社の「名作歌舞伎全集・第二巻」(忠臣蔵/菅原/千本桜の上演台本所収)

②関容子さんの「芸づくし忠臣蔵」(歌舞伎役者の聞き書きを通して、忠臣蔵、ひいては歌舞伎入門)

③いまでは絶版の保育社カラーブックス「写真忠臣蔵」(吉田千秋著)

④十三代目仁左衛門の「菅原と忠臣蔵」(私の家宝)


「課題図書」にするのには、「写真忠臣蔵」がいいかも知れません。

昭和の名優の舞台写真も多数。
「仮名手本」全体の流れも分かりますし、良心的なのは、
東西の演出の違いについても、写真・文章で、
かなりの程度に紹介されているところ。


奈河彰輔さん、ありがとうございました。

 2014-10-21
17日の各紙朝刊で歌舞伎脚本・演出家の奈河彰輔さんの訃報に接しました。

13日に死去。83歳。本名は中川芳三さん。
1931年大阪市生まれ。阪大経済学部を卒業して1957年に松竹に入社、
関西で歌舞伎を中心とした演劇制作など「芝居一筋」だった方。
三代目猿之助(現二代目猿翁)と組んで、古典歌舞伎脚本を掘り起こして、
現代に再生する「復活狂言」を手掛けるときの名前が「奈河彰輔」でした。

1993年、すぐれた新作歌舞伎・舞踊脚本に贈られる「大谷竹次郎賞」を受賞。
「慙紅葉汗顔見勢」(原作・四世鶴屋南北)と「倭仮名在原系図」が受賞作。
同年1月の道頓堀、仕事で直接お話をうかがう機会がありました。
道頓堀には中座が健在で、初芝居は忠臣蔵の通し(鴈治郎七役)。

当時、「歌舞伎ブーム」と言われはじめ、中座でも、
五代目中村勘九郎はじめ若手役者の芝居に若い女性ファンが詰めかけていました。

中川さんは

「ブームだといわれているのは、勘九郎や橋之助といった役者の人気上昇が
 大きな原因で、むしろ“役者ブーム”ではないでしょうか。
 それはそれで大事なことですが、歌舞伎自体がブームだとは、まだいえない」


松竹入社後、プロデューサーとして、うちつづく興行不審にあえぐ、
関西の歌舞伎を目の当たりにしてきた中川さんは、

「“山あり、谷あり”どころか、それこそ谷ばっかり。
 映画、続いてテレビが普及してくる。
 団体客も歌舞伎を見るくらいなら、流行歌手の芝居がおもしろい、となってくる。
 興行が成り立たず、役者が次つぎ東京へ移る。
 いろんな努力や一時的な成功はありましたが、
 歌舞伎は鼻もひっかけてもらえない、
 中座で一度も歌舞伎がないという時代もありました」


 たとえば舞台に馬が出ただけで失笑が出る。
 というのも、歌舞伎では2人の人間が張り子を被っているわけで、
 本物の馬と比べると変な歩き方になるのは当然。


「そういう感覚的なギャップを乗り越えて、ともかくも
 歌舞伎に関心がむいてきたというのはありがたいこと。
 チャンスであることは確かです。しかし、いまなんとかしなれば、
 歌舞伎はほんとうにダメになるのではないか。いわば“逆危機”です」


私が初めて生で歌舞伎で掛け声をかけたのは京都府立高校3年のとき。
国語の授業の一環で南座での「澤瀉屋」奮闘公演を貸し切りするのが毎年恒例。
私たちが見物したのは「當世流小栗判官」。
猿之助が宙乗りの馬にまたがるのが見せ場の一つで、
この芝居も、中川さんによる復活狂言。

「生まれて初めて掛け声を掛けるときは、心臓が口から飛び出しそうでした」

そんなことをご本人に話すと、喜んでくださいました。

それからあっという間に20年余が経ちました。

ことしの初夏、大阪市内の古書店で求めた、奈河彰輔『芝居ばなし』

DSCN9478.jpg


私家版で、だいぶ前に図書館で借りて読んだことがありましたが、
手元に置いておきたくて、買ったのでした。
訃報に接して、改めて読み返しました。

氏が新聞や雑誌などに寄せた文章を編んだもの。
古典歌舞伎復活の苦労と喜び、往年の上方歌舞伎の役者の横顔、
老練な脇役の聞き書きなどなど、関西の芝居好きにとってはうれしい本。
私が楽しませていただいた、あの芝居、この舞台も、
中川さんの企画や補綴だったのかと、気付かされます。

21年前にお目にかかったとき、中川さんはこうもおっしゃいました。


「上方歌舞伎なんてもうないやないか、という人もあるでしょう。
 その通りです。しかし滅んだのなら、つくればいい。
 決して甘くはないけれども、新しい大阪の歌舞伎をつくりたい」



中川さんの夢に通じるような「大阪のまち」にするために、
私も細く長く、勤め人歌舞伎ファンでありたいと思います。

ありがとうございました。安らかにお眠りください。


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プロフィール

こにし すすむ

Author:こにし すすむ


京都・西陣生まれ。大阪の「勤め人はもにか吹き」です。

木綿を中心に、普段のきもの暮らしを楽しんでいます。

▼2005
FIH JAPAN第25回コンテストブルース部門1位
▼2006~
デュオ「こにしんぼ」などで神出鬼没。「出前はもにか」などで活動中

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