スポンサーサイト
湯郷・相生~播州・作州旅(3)
2014-02-13
いけませんねえ、旅に出てから早や1週間。なかなか旅日記も果たせません。
私どもの「きもの旅」は、目的地だけ決めて、
あとは交通手段の時間だけ大まかに見当をつけて、
現場では「出たとこ勝負」でいくことにしています。
アバウト、です。
日常がわりとタイトなので、それでバランスをとります。
今回も、予算の範囲内で、なるたけ交通費は抑えるのが、まず方針。
新幹線や特急は使いません(道中を楽しむ意味もあり)。
で、温泉にもつかり、適宜おいしいものもいただく、
その条件に叶うところということで、
この冬は作州の湯郷ということをまず決めまして、
道中、明石で浮世絵展が2月9日まで開会中なので見物しようとか、
「魚の棚」も近いから寄ってみよう、てな展開です。
さて、湯郷では平日料金なので、露天風呂付の部屋を予約。
ポンプで汲み上げの源泉は38度くらいなので、
別途熱湯を足して好みの湯温にしつらえます。
「必殺風呂仕立人」の私

この宿はキングサイズの浴衣も用意してくれはりました。
しかも、ロビーのトイレの表示はこのとおり。

一泊して翌朝、JR姫新線「林野駅」で単行列車を待つの図

姫路まで出て山陽線で「相生」へ。
今回の旅の目的の一つ、牡蠣を食べるため。
相生で降りて、海のほうに向かって歩き、
途中、商店街で地元の方に道を尋ねる。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」風。

なにしろ時刻は午後1時すぎ。
ランチタイムは2時までとすれば、ギリギリですね。
一番早く見つけたお店「はりま」さんの暖簾をくぐる。

迷わず牡蠣のコース。



「お品書き」にコースは1人前3000円とありまして、
あとアサヒの瓶ビール2本飲みましたが、お勘定のときに、
「6100円です」
って、どういう計算かな?
深く考えずに、さらに海に向かって歩く。

「海の駅」で品定めの図


スポンサーサイト
姫新線~播州・作州旅(2)
2014-02-09
山陽明石を後にして姫路まで出て、初めてJR姫新線に乗る。姫路駅にて。

姫新線ホームに行くと、おお、ディーゼルカー。
私は鉄道模型は道楽で、実物の鉄道にはほとんど興味ないですが、
非電化単線のディーゼルカー運行は鉄道の醍醐味です。
まずは播磨新宮に向かう車内にて。

路線図は兵庫県立龍野北高校の生徒さん作。

駅を離れたところを、後部窓より。

播磨新宮からはディーゼルカーは単行。
佐用で折り返します。

佐用駅時刻表

佐用からも単行。17時43分発津山行きの発車前。

奥様に電車とディーゼルカー、蒸気機関車との違いを説明。
兵庫と岡山の県境を越えて、林野駅で下車。
津山行きのテールランプを見送る。

(続きはまた明日)
歌麿、魚の棚~播州・作州旅(1)
2014-02-09
先日、休みをとって、播州から美作を1泊2日で巡りました。冬の普段きもの旅は1泊2日程度なら、もう手馴れたもので、
荷物は夫婦それぞれ下着と足袋の替え、それに手回りの小物だけ。
それらはまとめて、きものハンガー折りたたみ式2ツと一緒に、
私が風呂敷に入れて持つ。奥様はバッグ1ツ。
奥様は羽織にショールだけ。
私は大和コートは持っていますが、
羽織に襟巻きだけでよろし。
洋服で出かけるより、よほど気楽です。
まず阪急、山陽電車と乗り継いで「山陽明石」で下車。
明石市立文化博物館で開かれていた、
新春特別展「黄金期の浮世絵/歌麿とその時代」を見物。

館内。ここは写真撮影OK

展覧会は歌麿を中心に肉筆浮世絵含め計136点。
私は展覧会は「対決」する構えで見ますので、けっこう「重労働」。
まとめて見ると、歌麿はやはり別格だと感じる。
それに、遊女や町人のきものに、
繰り返し登場する「市松」「麻の葉」の意匠に、
「永遠」を感じる。
展覧会を後にして「魚の棚」へ。
話には聞いていましたが、夫婦とも訪ねるのは初めて。


この日大阪に帰るなら、買っていきたいものばかり。
遅めの昼食を、商店街内の昼網の寿司屋さんでとる。

蛸の柔らか煮、寿司、赤だし、それに、
茶碗蒸しにも蛸が入っているのが、明石ですね
せっかく明石だからと、明石焼も別の店でいただく。

15個あるのを、最初はなにもつけず、
次は出汁(昆布が利いた優しい味)で、
出汁に三つ葉を入れて、また、抹茶塩で、
最後に汁に抹茶塩を入れてと何通りにも楽しむ作法。
二見浦今昔/ちょっと伊勢旅(4)
2013-02-25
伊勢旅日記の最終回です。私は京都の生まれ育ちですが、小学校の修学旅行といえば「お伊勢さん」。
(1歳半下の妹や弟の代になると平和学習を兼ねて広島)
うちの奥様も小学校の修学旅行は「お伊勢さん」でした。
1泊2日の修学旅行で、宿泊先は二見浦の旅館。
今回の旅で35年ぶりに旅館街を歩いたことになります。
当時泊まったところは、どこか?
たしか屋号は「いろは館」で、二見浦側だったような記憶が。
ありました。

残念ながら、現在は営業はされていない様子。
裏手の海側に出てみる。

奥様も修学旅行当時は二見浦泊。
たぶん、ここだろう!と見当をつけたのが「浜千代館」

酒素饅頭のお店で聞いた「そのころ(40年前)が全盛でしたね」
という言葉が迫ってきます。
夫婦岩方面に向けて少し歩くと、「賓日館」

賓日館
http://hinjitsukan.com/
修学旅行で来たときは、こうした建物があることは分かりませんでした。
(聞いたかも知れませんが、覚えていない)
内部でも、多数の雛人形の展示中。これは江戸時代のものだそうで。

百二十畳敷という大広間では、十二単の着付け体験も(有料・要予約)

能舞台風の舞台がありました。

私ども夫婦に、イベント関係者の方が声を掛けてきてくださいました。
3月10日にはこの広間で、伊勢音頭と、古市の地歌舞伎のコラボ企画があるそうです。
寒風吹き付ける中、夫婦岩へ。
子どものころ見たときは、もっと大きく見えたような気がします。

「観光ビッグバン」と呼ばれ、巷間、官民挙げて、
アジアや世界からの観光客を呼び込む流れが多いようです。
(大阪ではカジノをこしらえるという人たちも)
諸外国からのお客さんは有難いと思いますが、
まずは何はさておき、この国に暮らす我々の暮らしがもっと「まし」になって、
あちこち旅に出られるようにならないと、この国は立ちゆかんでしょう。
(おわり)
酒素饅頭、藍織成/ちょっと伊勢旅(3)
2013-02-23
私ども夫婦の「きもの旅」では、主な交通手段と宿を決める以外、あとの行程は細かくは詰めずに出掛けまして、あとは「出たとこ勝負」。
NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」よろしく、
街歩きやその土地の市場、商店街などを回ることがほとんどです。
3年前に東京方面に行ったときは、夜まであちこち回って、
東銀座の歌舞伎座近くまで戻ってきたところで、
私「ひょっとしたら、幕見で芝居見られまっせ」
歌舞伎座前に着くと、もう少しで「大川端」の幕です。
奥「玉三郎(お嬢吉三)を生で見るのは初めてです!」
と、突発的に一幕見席の切符を買って見物しました。
今回の旅は、初日に神宮ちょっと寄ることだけ決めていて、
参拝はせずに、2日目のことは道中に相談。
2人とも小学校の修学旅行以来ということで、
「とりあえず夫婦岩の方に行ってみましょか」
と大まかな打ち合わせだけでした。
鳥羽駅からバス(周遊パスで無料)に乗りましたが、さてどこで降りる?
夫婦岩そのものは、ずばり「夫婦岩東口」の停留所が近いようですが、
2ツ先の「二見裏表参道」で下車しました。
停留所近く、車窓からお饅頭屋さんが見えたので、まずそこへ。
「旭家酒素饅頭製造本舗」

「酒素」=「さかもと」。
10ケ入りを求めてお店の方に話を聞くと、
饅頭店として創業以来140年とのこと。
奥「こちらにお邪魔するのは、修学旅行以来で、40年ぶりです」
店「40年前ですか。そのころが全盛でしたね」
話が「過去形」だけに、どう言葉を返していいか、戸惑う。
店内に雛飾り。二見では遷宮記念「おひなさまめぐり」の開催中。
案内地図をいただいて、店を出ました。
おひなさまめぐりin二見
http://www.ohinasamameguri.com/
「生涯学習センターにたくさんのお雛さんがありますよ」
と教えてもらいました。降りたバス停のところです。
何体あるんでしょう。

面白いのは、お人形さんに添えられた「つぶやき」。






センターを出て、旅館街の表参道を「二見興玉神社」に向けて歩く。
「おお、あれは木綿ではないか」
ということで、「藍織成(あいな)」さんにお邪魔。
旅館だった建物を生かした、草木染の糸を使った松阪木綿の手織り工房です。
主宰者で作家の方が、私が提げている風呂敷のことで、
「どういう構造になっているのですか?」
と聞いてこられました。
私はいつも、風呂敷を裏返して対角線で半分に折り、
折ったところの両端をそれぞれ結んでから表返します。
(結び目は内側に隠れる)
そこに荷物を入れ、残った端同士を結び手提げにしています。
持ち手(木製など)を使わない、布一枚の工夫。
「よくぞ聞いてくださいました」てな調子で、
予備の風呂敷があったので、上のやり方を実演して説明しました。
こちらで、木綿の巾着(500円)を求めました。
きものの時は決まって風呂敷愛用の私ですが、荷物が多いなど、
中で小物が混ざってしまうのが難点。
この巾着は外側にポケットがあるので、なおいいです。

「出会い」の品。
携帯電話や小型デジカメなどを分ける袋として活用させていだきます。
この先にある「寶日館」でも古い雛人形を飾っていて、
土日はきもので行くと無料ですよ教えていただいて、
「ありがとうございます」
とまた旅館街を歩き始めました。
(つづく)