「きもの暮らし」は、どうなったのか?

 2018-05-22
当ブログのタイトルは「はもにか生活 男のきもの暮らし」
この間、更新が滞っていたのは、いろんな事情がありますが、
仕事の責任がかつてより重くなり、
以前と比べてライブ活動もそんなにできなくなっている事情があります。

「きもの暮らし」については、
きものを着ることがすでに特別なことではなくなって、
(その意味で暮らしに密着するようなった)
とりたてて書くようなことではなくなったことと、
それと比例して、きものを着て出かける機会が激減しています。

仕事の場面できものを着るということは基本的にありません。

勢い、仕事が忙しくなれば、休日も何もあったものではなく、
とくに2015年くらいからは激動の日々で、
いまではきもので出掛けるのは月に1回あればいいほどか・・・

そういう中でも、手持ちのきものや袴のメンテナンスは欠かさず、
2009年に求めた綿麻の普段袴は、
いまの季節から盛夏、秋口にかけて「頼もしい味方」です。

こないだの日曜日(5月20日)は、
その綿麻袴に川越唐桟で梅田に映画を見に行き、
帰路は中之島、大阪城公園経由で谷六まで歩いて帰りました。


中之島公園、「バラの小径」入り口にて。

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中之島公園の東、天神橋に上がる階段で、
船客に手を振る奥様(この日は伊勢木綿)

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と、気楽なきものを暮らしは、
いまも自分のペースで続けています。

きものは、私の、生きる力

 2017-02-10
「染織こだま 木綿展 大阪」初日、仕事を終えて訪ねました。

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お誂えは久しぶり。

真冬の大阪で夏物を選ぶのが、きもの暮らしの醍醐味。

きものは、生きる力、です。

染織こだま 木綿展 大阪は13日まで。

http://someorikodamas.com/osakaten.shtml



世間の目

 2011-12-08
きょうは仕事を終えて夜10時前に帰宅。
奥様も仕事やなんやで、その時点でも帰宅しておらず。
こういう日は、お風呂に入って寝るだけですので、
帰宅してもきものに着替えず、湯上りの寝巻き浴衣になります。


さて、この間、当ブログの読者の方で、きもの暮らしを楽しんでおられる男性から、
メールフォーム経由でお便りをいただきまして、
帰宅後、そのお返事を書いておりました。


書きながら、少し自分のきもの暮らしを振り返りました。



うちの奥様は、ひところ、

「あなたがきものを着るようになるとは思ってませんでした」


と、しょっちゅう言っておりました。


現在のきもの暮らしは奥様が先に初めて、
その限りでは私が後追いする形になりました。


2007年の夏、北海道を旅した折、
小樽の一日を奥様は小千谷縮を持参して着ることにしたので、

「ほな、私も」


ということで、生成りの綿麻を浴衣として着て、同道したのが、
現在のきもの暮らしの始まり。
当ブログの開設以前の話です。


小樽の船溜まりにて。


小樽にて2007年



その年の秋から、夫婦してせっせと着るようになって今日に至る。

私は、奥様に、


「なんの、私は、生まれながらに、きもの好きなんです」


とか説明しておりましたが、
せっせと着るようになった、その初期の段階では、
きもので出掛けて帰宅すると、肩が凝ったり、
なんだか疲れたものです。


なんといっても、きもので街を歩いている人、
とくに男性というのは、滅多にいませんもので、
じろじろ見られたり、振り返られたりするのであります。


が、実は、こちらが慣れていないので、
きょろきょりょしたりしてしまうのが、
周囲に伝わって、結果として余計に見られている(ように感じる)のでありまして。


いつの間にか、見られているとか、どうとかは、まるで気にならなくなりました。


自分が着る喜びのほうが、なんといっても勝ってしまいますから。


で、はもにかのライブも、独り吹きなどの場合は、きもの姿でやるように。


高槻ジャズストリート(09年)、野見神社能舞台での出演時の口上
(拍子木を打つために控えているのが奥様)


野見神社口上の図




そうです。きものを着るのは、自分が幸せになるためなんです。




お世話になっている高槻の整体院「元氣堂」さんにて


元氣堂さんにて




ただ、「見られる」ことには変わりはありません。
きものの評判を落とさないようには心がけています。
(うまくいっているかどうかは、世間様のご判断)



法事 袴(続き)

 2011-03-23
袴のことはともかく。


私が幼少のころ。
まだ、家庭内の衣生活に「きもの」が普通にあった、
最後の世代かも知れません。

祖父は機屋仕事が終われば、丹前や浴衣に着替えて寛ぎ、
祖母はほぼ年中、家の中では普段きもの、
出掛けるときは、しゅっと着替えたきものでした。


父親がきものを着ている姿は記憶にないですが、
私の幼児のころの写真をアルバムで見ると、
家できものを着たりしている画像があります。



私はといえば、子どものころから、
折りに触れて、きものを着せてもらえる機会はあったほうかも知れません。
地蔵盆のときの浴衣、正月のアンサンブルなどなど。


4歳になったばかりのお正月。北野天満宮前にて。


北野天満宮前



それから、約40年後。ことしの正月の私。北野天満宮境内にて。


天神さんにて



かつて、きものが当たり前だった時代には、
「着付け教室」といったものはなく、
暮らしの中で、親から子へと伝えられたものでしょう。

思えば、時代と世代の変わり目、ぎりぎり間に合ったタイミングで、
祖父に着付けの手ほどきを受けたことで、
今日の私の「きもの暮らし」もあります。


私には娘しかいませんので、
わが子に「男のきもの」を伝えることは、もはや、なし。


2人の甥っ子たちがおりまして、
彼らが将来きものを着るかどうかはともかく、

「きものを着て、はもにかを吹く、変なおじさん」

が世の中にいたと、覚えてくれてるかも知れません。


そういうことを、祖父の七回忌を機に、
改めて思うのであります。


法事 袴

 2011-03-22
こんどの日曜日は、法事で京都の実家に行きます。
2005年に満96歳で亡くなった、祖父の七回忌です。


集まるのは、身内だけ。

私ども夫婦は、かねてより、きもので出席を考えていましたが、
法事、それも七回忌ということで、とくに妻は何を着るか、
これはこれで、けっこう悩むところでありました。

で、実家の母とも相談して、
大方の出席者は「平服」とて、妻の着るものはほぼ決定。

私は当初から、紬袴と決めていましたが、

妻曰く、「いささか『大袈裟』じゃないですか?」



いえ、それで、いいのです。


私は、「男の着付け教室」とかには通ったことがありませんで、
きものの着方を教えてくれたのが祖父でした。

私がまだ14歳になるか、ならないかの頃です。
そのときに、袴の付け方も教えてもらいました。


母から娘へ、きものを「伝える」という話はよくあります。
それは現代では、「きもの」という「モノ」に限られることも少なくないでしょう。

私の「きもの暮らし」の手ほどきをしてくれたのは、
他ならぬ、祖父でありました。


中学生のころ、「袴をつけたい」という私に、
祖父は何と思ったか、いまとなっては分かりません。

ただ、実家には、まだ祖父の袴(仙台平)が大切に仕舞われており、
それを祖父がつけていることは見たことはありませんでしたが、
その付け方は、祖父が教えてくれました。

なので、祖父の七回忌に、
袴で出掛けるのは、何よりも祖父の供養と、私は心に決めています。


死者は何も語りません。しかし、私は、袴が好きです。



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プロフィール

こにし すすむ

Author:こにし すすむ


京都・西陣生まれ。大阪の「勤め人はもにか吹き」です。

木綿を中心に、普段のきもの暮らしを楽しんでいます。

▼2005
FIH JAPAN第25回コンテストブルース部門1位
▼2006~
デュオ「こにしんぼ」などで神出鬼没。「出前はもにか」などで活動中

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