FC2ブログ

スポンサーサイト

 --------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
カテゴリ :スポンサー広告 トラックバック(-) コメント(-)

「ブルースをナメるな!」~山中湖畔合宿の段③その2 妹尾さんのことば#26

 2018-07-09
#25の記事で書いた、東京の生徒さんの演奏、
DeFord Baileyの「Davidson County Blues」、
私は「うわぁ、完コピや。すごいなあ」
と思ったのですが、妹尾さんのコメントは、

「ブルースをナメるな!」


妹尾「この曲は何や?」

と聞かれて、シドロモドロの生徒たちを尻目に、妹尾さんは、

「これは、ヒバリ(鳥)が鳴いているところや!」


言われてみれば・・・

東京の生徒さんに続いて、合宿の夜の最後(未明)に、
私は自分が録音した「妹尾版Juke」を聞いてもらいました。

妹尾さん曰く、

「お前な、コンテストの審査委員になったつもりで、
 この演奏のどこかええところか、言うてみ」



と、私は何も言えませんでした。

そして妹尾さんは、#24で書いた、

「ここはお前らみたいなもんが来るところと違う。ただ・・・」

という話をしはったのでした。


実は「Davidson County Blues」を吹いた東京の生徒さんも、私も、
同じことを言われていたんやな、
ということに気付いたのは、この連載を書いている中ででした。
(言われてから20年近く経って・・・)

妹尾さんは雑誌「ニュー・ルーディーズ・クラブ」(1994年)の、
「ボブ・ディラン」特集のインタビューで、
こんなことを喋ってはります。

「テクニック的に解明していくと、
 さほどブルースって難しいことはない。
 でも、テクニックがあってもブルースは出来ひんねん。
 もっと違うものを掴み取らんとブルースは出来ん。
 それは音楽の表面上に現れてこない、
 奥底に隠れたもんやから。
 だから逆に難しい」


私はここしばらく、ライブ活動を基本的に休んでいます。
ひところ、ほんまに苦痛ですらあったのです。

「好きでやってるはずのことで、何でしんどいねん」

と思って、休んでいます。

なんで「しんどい」のか。

それは、楽器が演奏できて嬉しい、
というのとは違う、

「もっと違うものを掴み取る」

ということが、いつの間にか、
おろそかになっていたのだろうと、
これを書いていて、思うのです。


写真は2007年4月発表の
「Weeping Harp Senoh Harp Solo WagamamaCD」

IMG_2945.jpg




スポンサーサイト

「ブルースをナメるな!」~山中湖畔合宿の段③その1 妹尾さんのことば#25

 2018-07-04
合宿の夜も更けて、すでに日付が変わっていました。
スタジオにいたのは妹尾さん、東京の生徒さん2人と、
あと京都ジムOBの私、それに録音エンジニアの男性。

そのうち東京の生徒さんの男性が、
教室の課題曲(妹尾版Juke)でなしに、
自分で選んだ曲を録音したものを聞いてほしいと申し出て、

妹尾「よし、わかった。聞いてやる」

曲は、DeFord Baileyの「Davidson County Blues」。
YazooのCD「Harmonica Blues」の最後に入っている、
一人吹きの演奏です。

IMG_2912.jpg



私は再生された演奏を聞いて、
「ようこんな、難しい曲、ここまで吹けるんやなあ」
と感心してました。

再生終了。ややあって、

妹尾「この曲は、どういう曲や?」

男性「…デフォード・ベイリーの、1920年代の曲で、

妹尾「何?」

男性「あ・・・あの・・・もとはブギウギ・ピアノの」

と、妹尾さんは、

「ブルースをナメるな!!」

大音声とともに、手にしていたライターを投げつけました。

私は京都ジム時代に、要求されたことができずに、
「なんべん言うたらわかるんや」と怒られたことはありましたが、
このときのように、全身全霊で怒りを表す妹尾さんを見たのは、
初めてのことでした。

録音した曲を披露した生徒さんだけでなく、
もう一人の生徒さんも、私も、言葉がありません。

ふとエンジニアさんを見ると、
この一部始終をニコニコと見守ってはったのが、
印象的でした。

(③その2へつづく)


「ここは、お前らみたいなもんが来るところと違う。ただ…」~山中湖畔合宿の段② 妹尾さんのことば#24

 2018-07-02
前回の#23から半月以上、間があいてしまいましたが、連載再開です。

山中湖畔のスタジオ村で合宿したお話の続き。

明け方に赤富士を拝んでから、朦朧としながら、
森に囲まれたスタジオ村に到着。生徒一堂、まず男女に分かれて、
それぞれのロッジへ。で、まず眠りました(笑。

起き出して風呂に入り、湯上りに屋外でとりあえずビア。
森の中を風が吹き抜けて、頭の中にあるアレコレのことを、
どこかへ流していってしまいます。

ここはサウンドビレッジという宿泊施設付きのスタジオ村
http://www.soundvillage.co.jp/


このときの合宿は、妹尾さんの東京教室の生徒さんがメーンで、
まずは東京の生徒さんが順次スタジオに入り、
「妹尾版JUKE」を録音して、妹尾さんの指導を受けていきます。

京都ジムOBの私は「ついで」に「おじゃま」したようなことなので、
昼間、皆さんの合間に録音して、あとで妹尾さんに聞いてもらうことにして、
皆さんの様子を見学したあと、夜はみんなでバーベキューでした。

妹尾さんは言いました。

「ここはな、お前らみたいなもんが来るところと違う。
 ミュージシャンを志した連中が、下積みで苦労しぬいて、
 世間にも認められるようになって、
 やっとの思いでデビューアルバムをつくるとか、
 そいういうところや。
 ただ、それでも、お前らにとって体験の一つやから、
 こうして連れてきたんや」

と。

このとき参加していた生徒(私も含めて)、
趣味・道楽で、ぼちぼちはもにかと関わっている程度です。

もちろん、既定のお金を支払えば、この施設は利用できるかもしれません。
「お金さえ出せば」というのは、他のことにも当てはまる(ように見える)でしょう。

でも、世の中、それでいいのか?

(このあたりのことは、連載の別の機会でまた書きます)

妹尾さんが、上に記した言葉、
合宿のどんな場面で言ったのか、
というのが、次回のお話です。

(つづく)

IMG_2911.jpg




お知らせ

 2018-06-30
中断していた連載「妹尾さんのことば」、
間もなく再開いたします。
いよいよ佳境に入ります。

お知らせ

 2018-06-20
6月18日午前7時58分、
大阪府北部で発生した最大震度6弱の地震と、
その後の対応にともなって、
当ブログの更新を一時中断しています。

折をみて再開します。

悪しからずご了承ください。

「見よ、あれが赤富士や」~山中湖畔合宿の段① 妹尾さんのことば#23

 2018-06-12
「妹尾さんは富士山マニアだった」というお話。

2000年の夏だったと思います、東京教室の合宿に参加したときのこと。
前年にも八ヶ岳のふもとであった東京教室の合宿に合流しましたが、
このときは京都ジムOBからは私だけでした。

新幹線で東京へ出て、渋谷・道玄坂のヤマハで、東京教室を見学。
そのあとみんなで中野のライブハウス「Bright Brown」で、
「Blues File No.1」のライブを見てから、日付が変わるころ、
東京の生徒さんが運転してくれる車数台に分乗して、
山中湖畔のスタジオ村に向かいました。

運転する人は大変、生徒も眠れたり眠れなかったりで朦朧。

夜が明けようとする頃だったでしょうか。
各車に妹尾さんから携帯電話で連絡が入り、

「車は全部止めろ!」

何事かと下車した生徒一同に、妹尾さん、

「これから、ここで富士山を見る」

と、目の前に夏の富士の山影、
妹尾さんを先頭に、道にたたずむ生徒一同。

夜が明けるにしたがって、なんと、
富士山が赤く燃えるように輝き始めたのです。

「見よ、あれが赤富士や」

私は、

「おお、北斎や!」

と思わず、富士山を拝んでしまいました。

赤富士


やがて日が昇ってしまうと、その燃える赤は消えてしまいます。

妹尾「よし、行くぞ」

同じ夏場でも、天候や気象条件によって、
必ずしも赤富士を拝めるわけではありません。

このときは、本当にラッキーでした。

と、いう話を合宿で東京の生徒さんにも話すと、
ある生徒さんいわく、

「前に妹尾さんを自分の車に乗せたら、
 『いまから富士山に行け』と言われて・・・
 道は混むし、俺は早く東京に帰りたいのに・・・
 あのときは妹尾さんを殴ろうかと思った」

とのこと。

その生徒さんはお気の毒でしたが、
はもにか、ブルースに限らず、妹尾さんは、
入れ込んだものには、「ハンパ」ではない人でした。

(山中湖畔合宿の段 つづく)

「お前、もう、フレーズとか考えんとけ」 妹尾さんのことば#22

 2018-06-11
このところ、ずっと書き続けている連載「妹尾さんのことば」。

世間様に意味があるかどうかは分かりませんで、
自分のために書いてきたようなもの。

それでも、先日の京都での送る会があった9日を、
ひとつの区切りにしようと思っていましたが、
書いているうちに、いろんな記憶が蘇ってきたりしまして、
もうちょっと続けます。

京都のジムは1998年末に終わりましたが、
京都に通っていた縁で、私は京都のブルースセッションに、
大阪からせっせと通っていました(今はようしません)。

それでも2000年代に入って、
住んでいる大阪に軸足を置きたいということで、画策。
2003年に谷町6丁目に開店した「Page One」での、
ブルースハープ教室の講師として妹尾さんを迎える算段をして、
2009年まで、私はその世話人を務めていました。

受講希望者との最初の対応、名簿の管理、
授業料の集金、それに、
妹尾さんが遅れるときの「つなぎ」のレッスンとか、
風邪でダウンしはったときの基礎練習の代講師など。

実務はいろいろありましたが、毎月2回の教室に、
基本的に同席して、横で聞いていて、
自分にとっての復習をしていたようなところもあります。

ある日(正確な年月は思い出せません)の教室で、
妹尾さんが、

「あのな、伸ちゃん(ギタリストの塩次伸二さん)が、こんど、
 京都の北山のMOJO WESTというところで、ライブするんやけど、
 そこにな、ドラムスのバーナード・パーディーがな、
 お忍びで来て、叩きよるねん。
 聞きに来たいやつは、来るべきやで。俺も行くし」

と情報提供。

ライブのチャージはともかく、
巨匠・バーナード・パーディーはある種、
「タダで聴ける」(妹尾さん)ということで、
私も北山まで出かけました。

妹尾さんは客として来てはって、
途中で1曲だけゲスト的に吹きはりました。

で、ライブが終わって、妹尾さん、客席で急に、
私が意見を求めたり質問したわけでもなかったですが、

「おう、小西。お前、もうフレーズとか考えんとけ」

と言わはったんです。

「な、2番吸ってたら、その曲のキーとは外れへんやろ。
 そやからな、もう、フレーズとか考えるな」

と。

なんで突然、そんなアドバイスをくれはったのか。
当時私は、少しずつライブ活動もするようになっていましたが、
妹尾さんは、その私の演奏を聞いてくれてはったわけでもありません。

ただ私はそのころ、どんな曲をやるにしても、
覚えたフレーズをその場で吹き吸いしているだけでした。
いわば毎回、「自分をなぞっていた」ようなもので。

そんな私のレベルを、音を聞かなくても分かったのでしょうか。

「それではあかん。その先に行って自由になれ。
 その場で自分のいまの気持ちを込めんと、
 ブルースはできひんぞ」

ということを、伝えようとしはったのかと、
いまになって思うのです。

写真は、9日の京都での送る会で参列者に配られた、
メッセージカードやポストカード(家宝にします)

IMG_2789.jpg



「本来、音楽というのはスタートの時点で既に許されてるもんなんですよ」 妹尾さんのことば#21

 2018-06-10
IMG_2774.jpg

きのう(6月9日)は、京都の老舗ライブハウス「拾得」で開かれた、
「ブルースをよろしく!ありがとう妹尾隆一郎」に行ってきました。

有志の皆さんが企画された、妹尾さんのお別れ会
東京(4月)、大阪(5月)に続く、締めくくりです。

ミニライブや弔辞・トークの合間に、
生徒や京都のはもにか吹きが入れ替わって
Eのシャッフルを奉げるコーナーに参加。

あと、会の最後のあいさつに立たれた、
京都の会の発起人のひとり、大万さんに呼び出され、
僭越ながら、京都のトレーニングジム時代や、
私が世話人をしていた大阪教室時代のエピソードを話し、

「当時、妹尾さんはブルースの種まきと言うてはりました。
 私も、皆さんも、その種をもらったと思います。
 その種を育てましょう。ブルースをよろしく、ということで」

と結びました(こんなんで、良かったのか・・・)。

私は大阪の会は仕事で参加できず、
京都の会も、本当は当初、なんとなく気が重かったのでした。

というのも、この1~2年ほど、はもにかを吹くのがしんどく、
とくに最近は、思うところあってライブ活動は休止中。
そんな状況で追悼の場に出かけるのは・・・という思いがありました。

この記事でご紹介している「妹尾さんのことば」は、
直接ご本人から聞いたものではなく、
音楽雑誌「ルーディーズクラブ」のインタビュー記事からです。
(手元の資料はそのページのコピーだけで、何年の何号か不明)

妹尾さんは自ら開発に参加したはもにか専用アンプについて、
設計思想などを説明したあと、こう語ってはります。

「本来、音楽というのはスタートの時点で既に許されてるもんなですよ。
 『僕も音楽できますか?』『うん、生きてりゃできるよ』みたいにね。
 楽器を始めるのに年齢なんて関係ないし」


この言葉は、これまでから何度も立ち返ってきましたが、
分かったような、分からんような。

ただ、きのう、京都の会に行って、

小西「妹尾さん、僕、いまちょっと思うところあって、
    ライブとかほとんどやってないんですよ」

妹尾「そうか。そしたら、また気が向いたらやれや」

と言ってくださったように感じました。

「あのな、下手なヤツは、その下手さが増幅されるんや」 妹尾さんのことば#20

 2018-06-08
#19でFIH・JAPANのコンテストに出た話を書きましたが、
このときの出場はほとんど「まぐれ」みたいなものでした。

当日、会場に集合して開場前に出場者のリハーサル。
とりまとめ役の石川二三夫さんが、
グヤトーンのはもにか専用アンプを指して、

「アンプは共用です。
 アンプリファイドで演奏する方は、各自で設定して、
 その値は覚えておいてください」

とおっしゃるのを聞いて、私は愕然としました。

私はその日、その瞬間まで、
アンプを自分で操作したことが一度もなかったのです。
セッションにはぼちぼち出ていましたが、
現場ではホストのプレイヤが設定したのを、
そのまま使わせてもらっていただけ。

コンテストのテープ予選に応募した、
妹尾ジムのレコーディング音源でも、
アンプの設定は妹尾さんが行ったものでした。

アンプの設定は自分で行うのはイロハのイ。
ところが私は「Volume」はともかく、
「Gain」とかその他のツマミなんぞ、「未知の世界」。

「こら、あかんなあ」

と、申し訳ないような、情けないような思いでリハを終え、
本番に臨みました。


その年の秋、東京妹尾教室の合宿が八ヶ岳のふもとであり、
京都ジムの卒業生も、私を含めて数人が合流しました。
そこで妹尾さんに、アンプリファイドの特訓をお願いしました。

妹尾「よっしゃ、わかった」

私は、アンプの各種のツマミの意味とかから、
教えてくれはるのかと思っていたら、

妹尾「小西の好きな音は、こういう感じやな」

マイク(Shure 540s)をアンプにつなぎ、
試し吹きしながら手際よく設定して、

妹尾「よし、音、出してみろ」

最初、2番穴を吸って、というのを繰り返し、
次に、簡単なフレーズを吹いたところ

妹尾「そんなことせえ、言うてへん。1個の音出せ」

また2番穴の吸って

妹尾「もういっぺん」

吸い方、持ち方を変えて

妹尾「もういっぺん」

…と何度も何度も繰り返して

妹尾「よし、今のや!。その感覚や」

で、

妹尾「アンプリファイドて、何や?」

小西「電気増幅です」

妹尾「そやろ、増幅や。そやから、
   上手い人が吹いたら、
   その上手さが増幅される。
   下手なやつが吹いたら、
   その下手さが増幅されるんや。ハハハ」

マイクやアンプなどの機材は必要ですが、
それらの機材が音楽をつくるのでではない、
そういうお師匠さんの教えだと、
私は受け止めています。


写真はShure 540s。妹尾さんがひところ使っていて、
ジムの卒業音源録音でも使わせてもらい、
そのあと自分でも欲しくなってなんとか入手できたもの。

IMG_2772.jpg


「お前の音は、だらしない」 妹尾さんのことば#19

 2018-06-07
京都で1997年9月から始まった、妹尾ジムは、
翌98年12月で終了となりました。

バンプなどの基礎訓練、簡単なフレーズの練習の後、
Little Walterのインスト「Juke」を、
妹尾さんが練習曲用の6コーラスにアレンジした、
「妹尾版Juke」に取り組んで、一区切りです。

妹尾版Juke1コーラス目の妹尾さん直筆タブ譜

IMG_2768.jpg


「オレは基礎しか教えない。
 Jukeを終えたら、みんな、いったん放り出す。
 それがオレの方針や」

と妹尾さん。ただ、ジムの終了にあたって、

「一人一人の、いまの到達点を残しておく」

ということで、カラオケのバンド演奏で、
生徒一人一人がJukeの演奏をして、
それを録音することになりました。
エンジニア役は妹尾さんがしてくれはりました。
(しかも、授業料なしで)

私は、そのときに録音した音源(カセットテープ)を、
世界ハーモニカ連盟日本支部(FIH JAPAN)の
第19回コンテストに応募したところ、
テープ審査の予選を通過して、
東京・吉祥寺はスターパインズカフェでの本選に、
出ることになったのでした。

応募したことや本選に出ることは、
妹尾さんには話しておらず、
当日、会場にいた妹尾さんは、

「お、小西が出てるんか」

となったそうです。

それが99年5月のこと。

6月になって京都三条木屋町のライブハウス「RAG」で、
妹尾さんのバースデーライブがあり、
ジムの卒業生である私たちも、聞きに行きました。
妹尾さんと一緒に生徒も演奏するというコーナーもあり、
私もステージに上げてもらいました。

で、ライブが終わってから、妹尾さんに、
コンテストでの私の演奏がどうだったのか、
聞いてました。

妹尾さんは即、

「お前の音は、だらしない」



・・・・・・・・・・・・・・私は、やっとのことで、

小西「『だらしない』て、どういうことでしょうか。
    そうやない音を出すには、何したらええんでしょうか」

妹尾「う~ん。それはな、口では言えん。極意やから」


落ち込むというか、途方に暮れるというか、
お先真っ暗というか・・・

その後、私はセッションに出たり、
遅まきながらバンドやデュオでのライブ活動も、
自分のペースでやってきましたが、

ずっと、この「だらしない音」をめぐって、
もがき続けてきたようなものです。


≪ トップページへこのページの先頭へ  ≫ 次ページへ ≫
プロフィール

こにし すすむ

Author:こにし すすむ


京都・西陣生まれ。大阪の「勤め人はもにか吹き」です。

木綿を中心に、普段のきもの暮らしを楽しんでいます。

▼2005
FIH JAPAN第25回コンテストブルース部門1位
▼2006~
デュオ「こにしんぼ」などで神出鬼没。「出前はもにか」などで活動中

最近のライブ動画→クリック

☆ライブ・出演ご案内☆
決まり次第、ご案内いたします。

最近の記事
最近のコメント

カテゴリー
FC2カウンター

メールフォーム
ご感想・お問い合わせ、ライブ予約などお寄せ下さい。

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。