「見よ、あれが赤富士や」~山中湖畔合宿の段① 妹尾さんのことば#23

 2018-06-12
「妹尾さんは富士山マニアだった」というお話。

2000年の夏だったと思います、東京教室の合宿に参加したときのこと。
前年にも八ヶ岳のふもとであった東京教室の合宿に合流しましたが、
このときは京都ジムOBからは私だけでした。

新幹線で東京へ出て、渋谷・道玄坂のヤマハで、東京教室を見学。
そのあとみんなで中野のライブハウス「Bright Brown」で、
「Blues File No.1」のライブを見てから、日付が変わるころ、
東京の生徒さんが運転してくれる車数台に分乗して、
山中湖畔のスタジオ村に向かいました。

運転する人は大変、生徒も眠れたり眠れなかったりで朦朧。

夜が明けようとする頃だったでしょうか。
各車に妹尾さんから携帯電話で連絡が入り、

「車は全部止めろ!」

何事かと下車した生徒一同に、妹尾さん、

「これから、ここで富士山を見る」

と、目の前に夏の富士の山影、
妹尾さんを先頭に、道にたたずむ生徒一同。

夜が明けるにしたがって、なんと、
富士山が赤く燃えるように輝き始めたのです。

「見よ、あれが赤富士や」

私は、

「おお、北斎や!」

と思わず、富士山を拝んでしまいました。

赤富士


やがて日が昇ってしまうと、その燃える赤は消えてしまいます。

妹尾「よし、行くぞ」

同じ夏場でも、天候や気象条件によって、
必ずしも赤富士を拝めるわけではありません。

このときは、本当にラッキーでした。

と、いう話を合宿で東京の生徒さんにも話すと、
ある生徒さんいわく、

「前に妹尾さんを自分の車に乗せたら、
 『いまから富士山に行け』と言われて・・・
 道は混むし、俺は早く東京に帰りたいのに・・・
 あのときは妹尾さんを殴ろうかと思った」

とのこと。

その生徒さんはお気の毒でしたが、
はもにか、ブルースに限らず、妹尾さんは、
入れ込んだものには、「ハンパ」ではない人でした。

(山中湖畔合宿の段 つづく)

「お前、もう、フレーズとか考えんとけ」 妹尾さんのことば#22

 2018-06-11
このところ、ずっと書き続けている連載「妹尾さんのことば」。

世間様に意味があるかどうかは分かりませんで、
自分のために書いてきたようなもの。

それでも、先日の京都での送る会があった9日を、
ひとつの区切りにしようと思っていましたが、
書いているうちに、いろんな記憶が蘇ってきたりしまして、
もうちょっと続けます。

京都のジムは1998年末に終わりましたが、
京都に通っていた縁で、私は京都のブルースセッションに、
大阪からせっせと通っていました(今はようしません)。

それでも2000年代に入って、
住んでいる大阪に軸足を置きたいということで、画策。
2003年に谷町6丁目に開店した「Page One」での、
ブルースハープ教室の講師として妹尾さんを迎える算段をして、
2009年まで、私はその世話人を務めていました。

受講希望者との最初の対応、名簿の管理、
授業料の集金、それに、
妹尾さんが遅れるときの「つなぎ」のレッスンとか、
風邪でダウンしはったときの基礎練習の代講師など。

実務はいろいろありましたが、毎月2回の教室に、
基本的に同席して、横で聞いていて、
自分にとっての復習をしていたようなところもあります。

ある日(正確な年月は思い出せません)の教室で、
妹尾さんが、

「あのな、伸ちゃん(ギタリストの塩次伸二さん)が、こんど、
 京都の北山のMOJO WESTというところで、ライブするんやけど、
 そこにな、ドラムスのバーナード・パーディーがな、
 お忍びで来て、叩きよるねん。
 聞きに来たいやつは、来るべきやで。俺も行くし」

と情報提供。

ライブのチャージはともかく、
巨匠・バーナード・パーディーはある種、
「タダで聴ける」(妹尾さん)ということで、
私も北山まで出かけました。

妹尾さんは客として来てはって、
途中で1曲だけゲスト的に吹きはりました。

で、ライブが終わって、妹尾さん、客席で急に、
私が意見を求めたり質問したわけでもなかったですが、

「おう、小西。お前、もうフレーズとか考えんとけ」

と言わはったんです。

「な、2番吸ってたら、その曲のキーとは外れへんやろ。
 そやからな、もう、フレーズとか考えるな」

と。

なんで突然、そんなアドバイスをくれはったのか。
当時私は、少しずつライブ活動もするようになっていましたが、
妹尾さんは、その私の演奏を聞いてくれてはったわけでもありません。

ただ私はそのころ、どんな曲をやるにしても、
覚えたフレーズをその場で吹き吸いしているだけでした。
いわば毎回、「自分をなぞっていた」ようなもので。

そんな私のレベルを、音を聞かなくても分かったのでしょうか。

「それではあかん。その先に行って自由になれ。
 その場で自分のいまの気持ちを込めんと、
 ブルースはできひんぞ」

ということを、伝えようとしはったのかと、
いまになって思うのです。

写真は、9日の京都での送る会で参列者に配られた、
メッセージカードやポストカード(家宝にします)

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「本来、音楽というのはスタートの時点で既に許されてるもんなんですよ」 妹尾さんのことば#21

 2018-06-10
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きのう(6月9日)は、京都の老舗ライブハウス「拾得」で開かれた、
「ブルースをよろしく!ありがとう妹尾隆一郎」に行ってきました。

有志の皆さんが企画された、妹尾さんのお別れ会
東京(4月)、大阪(5月)に続く、締めくくりです。

ミニライブや弔辞・トークの合間に、
生徒や京都のはもにか吹きが入れ替わって
Eのシャッフルを奉げるコーナーに参加。

あと、会の最後のあいさつに立たれた、
京都の会の発起人のひとり、大万さんに呼び出され、
僭越ながら、京都のトレーニングジム時代や、
私が世話人をしていた大阪教室時代のエピソードを話し、

「当時、妹尾さんはブルースの種まきと言うてはりました。
 私も、皆さんも、その種をもらったと思います。
 その種を育てましょう。ブルースをよろしく、ということで」

と結びました(こんなんで、良かったのか・・・)。

私は大阪の会は仕事で参加できず、
京都の会も、本当は当初、なんとなく気が重かったのでした。

というのも、この1~2年ほど、はもにかを吹くのがしんどく、
とくに最近は、思うところあってライブ活動は休止中。
そんな状況で追悼の場に出かけるのは・・・という思いがありました。

この記事でご紹介している「妹尾さんのことば」は、
直接ご本人から聞いたものではなく、
音楽雑誌「ルーディーズクラブ」のインタビュー記事からです。
(手元の資料はそのページのコピーだけで、何年の何号か不明)

妹尾さんは自ら開発に参加したはもにか専用アンプについて、
設計思想などを説明したあと、こう語ってはります。

「本来、音楽というのはスタートの時点で既に許されてるもんなですよ。
 『僕も音楽できますか?』『うん、生きてりゃできるよ』みたいにね。
 楽器を始めるのに年齢なんて関係ないし」


この言葉は、これまでから何度も立ち返ってきましたが、
分かったような、分からんような。

ただ、きのう、京都の会に行って、

小西「妹尾さん、僕、いまちょっと思うところあって、
    ライブとかほとんどやってないんですよ」

妹尾「そうか。そしたら、また気が向いたらやれや」

と言ってくださったように感じました。

「あのな、下手なヤツは、その下手さが増幅されるんや」 妹尾さんのことば#20

 2018-06-08
#19でFIH・JAPANのコンテストに出た話を書きましたが、
このときの出場はほとんど「まぐれ」みたいなものでした。

当日、会場に集合して開場前に出場者のリハーサル。
とりまとめ役の石川二三夫さんが、
グヤトーンのはもにか専用アンプを指して、

「アンプは共用です。
 アンプリファイドで演奏する方は、各自で設定して、
 その値は覚えておいてください」

とおっしゃるのを聞いて、私は愕然としました。

私はその日、その瞬間まで、
アンプを自分で操作したことが一度もなかったのです。
セッションにはぼちぼち出ていましたが、
現場ではホストのプレイヤが設定したのを、
そのまま使わせてもらっていただけ。

コンテストのテープ予選に応募した、
妹尾ジムのレコーディング音源でも、
アンプの設定は妹尾さんが行ったものでした。

アンプの設定は自分で行うのはイロハのイ。
ところが私は「Volume」はともかく、
「Gain」とかその他のツマミなんぞ、「未知の世界」。

「こら、あかんなあ」

と、申し訳ないような、情けないような思いでリハを終え、
本番に臨みました。


その年の秋、東京妹尾教室の合宿が八ヶ岳のふもとであり、
京都ジムの卒業生も、私を含めて数人が合流しました。
そこで妹尾さんに、アンプリファイドの特訓をお願いしました。

妹尾「よっしゃ、わかった」

私は、アンプの各種のツマミの意味とかから、
教えてくれはるのかと思っていたら、

妹尾「小西の好きな音は、こういう感じやな」

マイク(Shure 540s)をアンプにつなぎ、
試し吹きしながら手際よく設定して、

妹尾「よし、音、出してみろ」

最初、2番穴を吸って、というのを繰り返し、
次に、簡単なフレーズを吹いたところ

妹尾「そんなことせえ、言うてへん。1個の音出せ」

また2番穴の吸って

妹尾「もういっぺん」

吸い方、持ち方を変えて

妹尾「もういっぺん」

…と何度も何度も繰り返して

妹尾「よし、今のや!。その感覚や」

で、

妹尾「アンプリファイドて、何や?」

小西「電気増幅です」

妹尾「そやろ、増幅や。そやから、
   上手い人が吹いたら、
   その上手さが増幅される。
   下手なやつが吹いたら、
   その下手さが増幅されるんや。ハハハ」

マイクやアンプなどの機材は必要ですが、
それらの機材が音楽をつくるのでではない、
そういうお師匠さんの教えだと、
私は受け止めています。


写真はShure 540s。妹尾さんがひところ使っていて、
ジムの卒業音源録音でも使わせてもらい、
そのあと自分でも欲しくなってなんとか入手できたもの。

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「お前の音は、だらしない」 妹尾さんのことば#19

 2018-06-07
京都で1997年9月から始まった、妹尾ジムは、
翌98年12月で終了となりました。

バンプなどの基礎訓練、簡単なフレーズの練習の後、
Little Walterのインスト「Juke」を、
妹尾さんが練習曲用の6コーラスにアレンジした、
「妹尾版Juke」に取り組んで、一区切りです。

妹尾版Juke1コーラス目の妹尾さん直筆タブ譜

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「オレは基礎しか教えない。
 Jukeを終えたら、みんな、いったん放り出す。
 それがオレの方針や」

と妹尾さん。ただ、ジムの終了にあたって、

「一人一人の、いまの到達点を残しておく」

ということで、カラオケのバンド演奏で、
生徒一人一人がJukeの演奏をして、
それを録音することになりました。
エンジニア役は妹尾さんがしてくれはりました。
(しかも、授業料なしで)

私は、そのときに録音した音源(カセットテープ)を、
世界ハーモニカ連盟日本支部(FIH JAPAN)の
第19回コンテストに応募したところ、
テープ審査の予選を通過して、
東京・吉祥寺はスターパインズカフェでの本選に、
出ることになったのでした。

応募したことや本選に出ることは、
妹尾さんには話しておらず、
当日、会場にいた妹尾さんは、

「お、小西が出てるんか」

となったそうです。

それが99年5月のこと。

6月になって京都三条木屋町のライブハウス「RAG」で、
妹尾さんのバースデーライブがあり、
ジムの卒業生である私たちも、聞きに行きました。
妹尾さんと一緒に生徒も演奏するというコーナーもあり、
私もステージに上げてもらいました。

で、ライブが終わってから、妹尾さんに、
コンテストでの私の演奏がどうだったのか、
聞いてました。

妹尾さんは即、

「お前の音は、だらしない」



・・・・・・・・・・・・・・私は、やっとのことで、

小西「『だらしない』て、どういうことでしょうか。
    そうやない音を出すには、何したらええんでしょうか」

妹尾「う~ん。それはな、口では言えん。極意やから」


落ち込むというか、途方に暮れるというか、
お先真っ暗というか・・・

その後、私はセッションに出たり、
遅まきながらバンドやデュオでのライブ活動も、
自分のペースでやってきましたが、

ずっと、この「だらしない音」をめぐって、
もがき続けてきたようなものです。


「素質がある」 妹尾さんのことば#18

 2018-06-06
妹尾さん関連の資料を整理していて、
当時の私の備忘録も出てきました。

#17で書きましたが、

「こんなん、メモとるようなことと、ちゃうで」

と指摘されて、現場でメモをとることはやめましたが、
翌日とかに記憶をたよりに、
ジムでのあれこれを書き留めていたものです。

私が妹尾さんから直接、はもにか演奏について、
「ああしろ」「こうしろ」とかいうコメントをもらったことは、
片手で足るくらいの数しかありません。

その最初のものが、このときの備忘録に残っていました。

ジムが終わって妹尾さんと生徒一同が、
木屋町にできたばかりのブルース・バー、
OUT LOOP-WAYで「新年会」を開いた時のこと。
(バーボンの話を書いた#13のときのこと)

妹尾さんは生徒たちを前に、
何曲か、ひとり吹きで演奏を聞かせてくれはりました。

終わって、生徒で何かやろうということになり、
私は、サニー・ボーイ風の曲を、
3コーラス吹いたのでした。

それを聞いて、妹尾さんが寸評。

「素質がある」

その根拠は、

「身体から吹いているから」

というもの。

ともかく10穴はもにかを初めて3年経っていて、
ライブはおろか、セッションもやったことがない私でしたが、
何かを求めてジムに通っていた、右も左も分からないころ。

妹尾さんから、そう言ってもらったうれしさの瞬間は、
いまでも忘れません。

ジムに通っていたときから、いまで20年が経過。
その間も、なんだかんだと、この楽器を続けてこれたのは、
このときの妹尾さんの寸評があったからこそだとも思います。

ただ、のちに、

「天国から地獄へ逆落とし」

みたいなコメントを妹尾さんからもらうことになるのですが、
それは次回の#19で書きたいと思います。

写真は、京都での「妹尾ジム」での一コマ(1998年)。
妹尾さんの後ろで、背後霊のように写り込んでいるのが私。

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「おい、こんなの、メモするようなことちゃうぞ」 妹尾さんのことば#17

 2018-06-06
この間、妹尾さん関連の資料を整理していたら、
京都でのトレーニングジム時代の私のメモ書きが出てきました。


ジムで配布された妹尾さん直筆のタブ譜。

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リトル・ウォルターの「オフ・ザ・ウォール」風の練習曲です。

この紙の裏に、妹尾さんがジムでしゃべりはったことを、
万年筆でメモしていたのでした。

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ホーナー社の品質が落ちている話、
ブルースのCD(日本盤)のライナーノートの歌詞が出鱈目な場合があるのはなぜか。
ゴスペルとブルース、演歌とブルース・・・などなど。

と、妹尾さんは話すのを止めて、私に、

「おい、こんなの(こんな話)、メモするようなことちゃうぞ」

怒るでもなし、たしなめるでもなし・・・

で、私はそのとき以来、教室でメモをとるのをやめました。

メモをすると、分かった気になってしまう、
大事なことは心でしっかり受け止めろ、
あれこれの知識ではなく、
要ははもにかを、ブルースをいかに吹くか、

・・・・そんなことを妹尾さんは言いたかったのかも知れないと、
いまになって思います。

私は、こんなメモをとって残していたことも忘れていました。

同じメモに、

「(はもにかは)簡単な楽器。穴10個。(演奏の音だけ)聞いて、
CottonかSonnyBoyかが分からんと一人前でない。
その人の音がある。10人全部顔が違うように」

「方言いろいろあっても、みんな人間として立派やん。上下ないやん」

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妹尾さんの言葉をもう聞けない今となって、
当時のメモを読み返して、いろいろ考えています。

「俺に授業料、前借りせえ!」 妹尾さんのことば#16

 2018-06-01
1998年に京都の個人宅を会場に続けられた、
「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」。

私は当時、大阪市東成区に住んでいまして、
仕事を終えて夕方、保育所に子どもを迎えに行き、
その日の洗濯をしながら夕飯をこしらえて子どもたちに食べさせ、
しかるのちにJR大阪環状線で京橋に出て、
京阪電車で京都まで「妹尾ジム」に通うこともありました。

(いまでは、そんな無茶なこと、ようしません)

で、会場に着いたら、もうレッスンは終わっている時刻、
ということもありました。

ある日のレッスンでのこと。

例によって家事育児の務めを果たして、ジムに着いたところ、
何やら重苦しい空気がただよっているではありませんか。

何やら妹尾さんが生徒を説教している様子。
妹尾さんの厳しい声だけが聞こえてきます。

どうやら、ある生徒が、教室を辞めたいと打ち明けたことが発端のよう。

生徒「妹尾さん、おれ、授業料、払えへんから、やめる」

授業料は当時、月ぎめ1万円(レッスンは月2回)でした。
申し出た彼は、いわゆるフリーターで生活が不安定だったのでしょうか。

すると、妹尾さんは、

「俺はな、カネのためだけに教室やってるんやないんや!」

と一喝。

「今、カネがないんやったらな、俺に授業料、前借りせえ!
 そうして、最後まで習いに来んかい!」

「辞める」と申し出た彼だけに、
発せられた言葉ではないんだろうと思いました。

私は、「この人についていこう」と思ったのでありました。

写真は、1998年当時の「ハープジム」の風景を記録した、
貴重な?映像・・・・私はいまの方が痩せていますね~
写真に写り込んでいる時計は午後10時55分をさそうとしています。

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「どんなヤツが出てくるか、分からんやろ」 妹尾さんのことば#15

 2018-05-31
今からざっと20年前、
京都の「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」で習っていたころ、
ジム(教室)の間も、終わってからバーや喫茶店で、
それこそ妹尾さんは朝まで、いろんな話をしてくれはりました。

あるとき、特に生徒が質問したわけではありませんでしたが、
妹尾さんが関西でライブをするとき、
セッションタイムを設けていることについて、
お客さんから苦情が出ていることに対して、
妹尾さんが持論を述べはったことを、いまでも覚えています。

例えば当時、神戸にあったT2楽屋というライブハウスで、
毎月第1月曜だったでしょうか、
妹尾さんの定期的なライブがありました。

後半はセッションタイム。入れ替わり立ち替わり、ステージに上がります。
達者なプレイヤーならともかく、

「きょう、はじめてセッションに出ます」

てな出演者もあるわけです。

で、お客さんからすれば、

「妹尾さんのステージを楽しみに(チャージを払って)、
 ライブに来ているのに、セッションだからと、
 鑑賞に堪えないような演奏をするのを聞かされるのは…」

ということに、ならないでもありません。

しかし、妹尾さんは、

「そんなことは分かってる。
 でも、俺はセッションをやるんや」

と。

妹尾さん曰く、

「それはな、どんなヤツ(才能)が出てくるか、
 誰にも分からんやろ。
 そやから俺はセッションをやるんや。
 誰にも文句は言わせん」

と。

さて、そんなご縁に恵まれて月日を過ごしながら、
私は、はもにか吹きとして、どこまでたどり着けるか。

写真は、京都でのジムから15年後。
2013年12月の大阪・塚本「ハウリンバー」での、
ライブ&セッションで妹尾さんとご一緒したときの私。

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「俺はな、教室の生徒に『俺のライブに来い』ということは言わへん。ただ・・・」 妹尾さんのことば#14

 2018-05-26
京都で「妹尾隆一郎ブルースハープトレーニングジム」が開かれていた、
1998年のある日のレッスンで、妹尾さん曰く、

「俺はな、教室の生徒に『俺のライブに来い』ということは言わない」

と切り出しました。

他の国の事情は知りませんが、日本では、
はもにかやブルースに限らず、
いろんな習い事や芸事、各種教室などの世界で、
「お師匠さん」を頂点とした(「お師匠さん」の、そのまた「お師匠」さんとか)
ピラミッド型の世界や小宇宙があり、そこに入ると、
義理人情のしがらみもあったりして、
「先生が主催しはる会やから馳せ参じないといけない」とか、
「一門会なので、末席をけがす者として、公演のチケット普及を受け持つ」、
といったこと(良し悪しは別として)が、少なくないように思うのは、私だけでしょうか。

もちろん、行く・行かないは、一人一人の自由ですが、
プロ・プレイヤーである妹尾さんが

「生徒やからといってライブに来ることを強制しない」、

ということをハッキリ言わはったのことには、
「ライブはライブ」「生徒は生徒」ということで、

「ああ、すごい見識や」

と感動したものでした。

実際、妹尾さんから、「俺のライブに来い」
と言われたことは一度もありません。
生徒としては「忖度」する必要がありません。

ただ、この日、妹尾さんは続けて、

「このライブだけは来い!」

と言わはったんです。

それが京都のライブハウス「陰陽(ネガポジ)」で行われる、
日本のブルースバンド「ローラーコースター」のライブでした。

で、私は行きました。

関西では、ローラーコースターのライブはなかなか体験できません。

持っていたローラーコースターのCD(妹尾さんフューチャーのもの)を持参。

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このときは妹尾さん、小出さん、山崎さん、小町さんの4人編成。
1部のあとの休憩時間に妹尾さんが楽屋に連れていってくれはりまして、
メンバーの皆さんに「こいつ、おれの生徒や」と紹介してくれはりましたもので、
緊張しながら、サインをお願いしました。

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ドラムスの山崎さんが、

「音、でかくないですか?」

と聞きはりましたもので、

「いえ、全然大丈夫です」

と答えました。

当日のライブでどんな曲が演奏されていたのかは何も覚えていません。
音はたしかに大きかったのかもしれませんが、しかし、うるさくない。

それは、ボリュームの大小ではなく、音の存在感・説得力というのでしょうか。
そして、はもにか、歌、ギター、ベース、ドラムス、それぞれのパートが、
ちゃんと聞こえてくるのです。いつまで聞いていられるのです。

この日、「ローラーコースター」を体験できたのは幸せでした。

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プロフィール

こにし すすむ

Author:こにし すすむ


京都・西陣生まれ。大阪の「勤め人はもにか吹き」です。

木綿を中心に、普段のきもの暮らしを楽しんでいます。

▼2005
FIH JAPAN第25回コンテストブルース部門1位
▼2006~
デュオ「こにしんぼ」などで神出鬼没。「出前はもにか」などで活動中

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